始まり:赤い男

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 それからの数日を、アレックスは焦燥と望郷に追われて過ごした。故郷にいるのに望郷の念に襲われるというのも不思議な話だが、兎に角旅に出なければいけないらしいということだけが分かっている状況では、故郷の何もかもが恋しくてたまらなかった。アレックスは、まだ成人の儀をしてから一年だった。
「王都や星都じゃあんたはまだ未成年だからね。酒とか飲むなよ」
 レナックスから口を酸っぱくして言われたのも、アレックスの年齢についてだった。この村と都会では、成人年齢が異なるらしい。
「飲まないよ、あんな苦いの」
「美味い酒もあるんだよ」
「あなた達、王都から返答が来たわ」
 母親が家の扉を開ける。彼女の手には、大仰な封蝋がされた手紙が二通握られていた。緊張と共に一通目の封筒を開き、手紙を読む。何やら小難しい言葉が多く、アレックスの目は左から右へと流れていった。
「……戦争の終結を女神の願いと解釈し、故に東部中立帯、並びに魔王国への出立を嘆願する。以降対応は魔法審問官ソフィエステッド卿に一任される……あの古くて小さいお貴族か」
「……魔王国までなんて……」
「そもそも戦争を終わらせるなんてことを子供一人に任せるなっての」
 続く二通目は、そのソフィエステッド卿からの手紙だった。既にマーゼル村へ使いを送ったという。彼と共に王都へ来てくれ、という手紙だった。随分と几帳面な人物のようで、待遇について細かく記されている。曰く、客人として丁寧にもてなすこと、十分に世界情勢について知り、かつ戦力となるまで政治に近づけず旅にも出させないと確約すること、本人の意志に反することは一切行わないこと、必要ならば付き人を許可すること。
「……帰りたいって言ったら帰らせてくれるのかな」
「『行わない』だから、やりたいことをさせてくれるとは書いてないよ。嫌な書き方だ」
 まあでも、とレナックスがソフィエステッド卿からの手紙を眺めながら足をばたつかせる。
「要は身の振り方と戦い方を向こうから教えてくれるって言ってるんだから、お貴族にしては親切かな。ま、勇者の末裔も準貴族みたいなもんだけど」
「そうなの?」
「私らは貴族と違って教会から身分を保証されてるけどね。そういうわけで、王都からも命令じゃなく『嘆願』なんだ。教会の持ち物にお願いしてるわけだからね」
「……じゃあ、教会の命令は?」
「従わなきゃいけない。だから、ソフィエステッド卿に身の振り方を教えてもらいな。しかし、付き人許可か……」
 母親が微笑みながらレナックスを見つめる。
「レナ、防衛は父さんと私で大丈夫よ?」
「私も! 防衛する!」
 話を盗み聞いていたのか、妹が廊下からひょっこりと顔を出す。
「……じゃあ、もう一度行っていい? 王都に」
「ええ。いってらしゃい」
「……姉貴も来るの?」
 レナックスがアレックスを小突く。
「何、嫌?」
 アレックスは絶賛反抗期だ。故に、口に出したくないことも多々あって。けれども、心細さが減ったのは事実なので。
「……ありがと」
「そうそう、感謝しなよ」
 口を尖らせると、もう一度小突かれる。なるべく遅く使いが来ることを願いながら、姉を小突き返した。

 その日は容赦なくやってきた。
 レナックスと妹のリナックスと共に森の街道に生えてしまった膝の高さほどの若木を慎重に掘っている時、遠くから魔物避けの鐘の音が聞こえてきた。
「やばっ……二人共、早くこれ移すよ」
 村の付近の街道の整備も一族の仕事だ。といっても、生えてきてしまった若木の除去だとか、嵐の後の掃除くらいだが。その嵐も年に一度来るかどうかなので、基本的に行わない仕事だ。街道を年に一、二度通る交易の馬車が通れるなら良い、という緩さと戦わない安全さもあって、幼い頃から駆り出されていた仕事でもあった。
 仕方がない、とレナックスが王都仕込みの怪力で根を断ち切りながらスコップを地面に突き刺す。そのままざくざくと掘り進め、綺麗にくり抜かれた若木を彼女が街道の脇に植え直しに行く。その間にアレックスとリナックスでどうにか穴を塞いだ。
「にしても、交易の時期じゃ……ああ」
 馬車に巻き込まれないように弟妹を街道の端に呼び寄せながら、レナックスが呟く。アレックスも気付いていた。とうとう、来てしまったのだ。木漏れ日を受けながら姿を見せた馬車が、三人の前で止まる。予想通り人を運ぶための荷台の布が開けられ、中から赤い鎧の男が顔を出す。
「あ、すみません、マーゼル村の方ですか!?」
「ああ。少し早いがマーゼル村へようこそ。案内が必要かい?」
「はい!」
 二十歳程に見える男は人の良い笑顔を浮かべ、予期されていた言葉を発した。
「マーゼルゲイズさんの家を教えてくれませんか? 俺、王都からの使者で」
「あー、うん。じゃあ、我が家まで案内するよ」
「ありがと……え?」
 勇者さん!? と大袈裟な程大音量の驚愕で、周囲の木から小鳥が飛び立っていった。

「いやー、途中で勇者さんと会えるとは、運が良かった! あ、俺ブライアン・イストバーグです! サモンさ……ソフィエステッド卿からの手紙届いてました? 届いてた? 良かった!」
 村までと乗せられた馬車の中で、レナックスとアレックスは連射弩のような大音量に圧倒されていた。リナックスは端から相手をしないことにしたようで、御者の隣に座って初めての馬車の上を満喫している。
「あ、驚かせました!? すみません、俺気合が入ると声がでかくて」
「いや、まあ……それも驚いたけど、玉華四家が平民を雇用してるのに驚いて」
「玉華四家?」
「えーと、建国戦争で現王家に大きく貢献した四つの貴族……だったか? 俺も歴史は不勉強でして!」
 豪快に笑う男にやや呆れた顔をしながら、レナックスが説明を引き継ぐ。
「要するに、国で一番偉くて古い貴族。特にソフィエステッド家は唯一前の国の時代から貴族だった家だ」
「へー、だからサモンさんたまにプライド高いのか!」
「……サモン卿は現当主だよね。しかもその赤……『グランレッド』は玉華四家の配下の中でも一定以上の地位の騎士にしか許可されてない筈だ。だからてっきり、貴族の次男とかかと思ったんだけど」
「やー、もう俺がっつり平民の長男です! たまたまサモンさんに目をかけていただいて! あ、あの人良い人ですよ! 実力主義で出世させてくれるし、力と丈夫さしか取り柄のない俺でも重用してくれるし」
 アレックスには貴族と平民の違いはよく分からないが、「サモンさん」と気軽に呼んで良い存在なのだろうか。まだ会ったこともないソフィエステッド卿が、妙に身近な存在に思えてくる。
「……そのサモンさんって、凄く偉い人……なんですよね。俺がいきなり会って大丈夫なんですか?」
「んー、何せ勇者様だからな、むしろサモンさんクラスでやっと対等……ってあれ、勇者ってお姉さんじゃなくてお前さん……?」
「あ、勇者になったアレックスです……」
「…………サモンさんには内緒にしてくれよ? お前の目は節穴かって怒られる」
 そういや年若い勇者って言ってたな、とブライアンが呟く。態度を変えない辺り、肩書ではなく年齢で態度を使い分けているのだろう。
「とまあ、こんな世間知らずの勇者なんでね。ソフィエステッド卿には是非とも教育をお願いしたい……というか私も着いてくんだけどさ」
「あ、お姉さん同行ですね! 良かったな! あのお屋敷変なものいっぱいあるから一人で来るとまあまあ怖いぞ!」
 レナックスの同行があっさり認められたことに息をつく。その時。馬の悲鳴が聞こえ、布の隙間からリナックスが顔を出す。
「お姉ちゃん、魔物!」
 レナックスが剣の柄に手をかけた次の瞬間、ブライアンが御者の席へ踏み出し、そのまま馬の背を踏んで飛び上がった。熊型の魔物を大剣の一撃で斬り伏せると、血を払って馬車を振り返る。
「これどうします? 村まで運べますけど」
「ああ、森に返しといて」
「了解でーす!」
 魔物の巨体をあっさり引きずって森の木にもたれかけさせた後、ブライアンは馬車の中に戻って来た。斬った瞬間に飛び退ったのか、鎧を拭う様子も無く再び揺れた馬車で剣を布で拭き始める。
「お兄さんすごーい! あれお姉ちゃんじゃないと一撃で倒せないのに!」
 長男と言っていた。子供好きなのだろう。リナックスに褒められ、ただでさえ人の良さそうな顔がにこにこと笑う。
「……あれが貴族お抱えの騎士だよ。まあ、あの剣筋じゃ騎士の中でも上澄みだろうけど……」
 レナックスが耳打ちした。自分とは速さも重さも全く異なる一撃に固まっていたアレックスは、ようやく動きを取り戻す。
「……俺よりブライアンさんが旅に出た方が良いんじゃ……」
「んー、俺も旅に着いてくぜ? やっぱ護衛はいるだろ。あ、それと!」
 剣をしまったブライアンがにこやかにとんでもないことをのたまう。
「王都に着いたら俺がお前さんの戦闘指導をするからさ! 村に着いたら、取り敢えず一回手合わせしようぜ!」

「あらあら、お使いさんがこんな強い方なんて。お父さんが是非手合わせをって言うわね」
「俺も是非! 長年村を守っている方からすれば、まだまだ若輩者の剣ですが!」
 大音量の人が良い男と、のんびりした母親の相性は思いの外良く。出された紅茶を見慣れない作法で飲む姿を見ながら、アレックスとリナックスはリビングの隅で震えていた。弟、ロレックスがよく分からないまま一緒にくっついている。
「お兄ちゃん……真っ二つにならないでね……」
「リナ、俺の骨は拾えよ……」
「埋める場所どこが良い?」
「海が見える高台……」
「こらあんたら、客人に殺される妄想しない」
「にいに、しんじゃうの……?」
「死なないから! ほら泣かない泣かない!」
 ロレックスはまだ七つだ。兄姉の恐怖が容易く伝染する。参ったな、とブライアンが兜を外した頭を掻いていた。
「ブライアン、訓練用の木剣で良い? お互いその方が本気も出しやすいだろうし」
「はい!」
 元気良く頷く大男をよく観察する。身長はアレックスより頭二つ、体格に至っては三周りは大きい。素手でも良くないですか? と言葉が喉まで出かけた。
 こうなったら、狡くても良いから「あの手」を使うしか無い。只の手合わせに何故か悲壮な決意を滾らせたアレックスは、木剣を取りに倉庫へ向かった。

「じゃあ、取り敢えず一発当てるか寸止めで良いか?」
「は、はい……」
 先程、久々だと軽いなー、と木剣を振っていたブライアンの手から得物がすっぽ抜け、地面に深々と突き刺さったのを見たばかりだった。恐らく自分の腹にも易々と突き刺せるのだろう。いくら勇者一族は皆回復魔法を使えるとはいえ、大怪我などしたいものではない。
「あ、あの……」
「ん?」
「出来ることは、何でもして良いですよね」
「ん、おう!」
 言質は取った。ごめんなさい、と心の中で謝り。
「じゃあ、レナックスさん、合図はお願いします」
 離れてお互い構える。ブライアンは久々の軽い剣の取り回しに苦労するようにしながら低い体勢で構え、アレックスは剣の切っ先をブライアンに向ける。
「…………」
 明らかに戦いに向いた構えではなかったが、ブライアンは何も言わなかった。アレックスもそれに気を回せる状態ではなかった。
「始め!」
 レナックスの声が静寂を貫く。同時にアレックスは剣を天に向け詠唱を始めた。
「"昏き空の輝きよ、我が声のもと舞い降りよ"」
 アレックスの剣が輝き、一筋の閃光が空へ放たれる。同時、ブライアンが一歩目を踏み出し。
 それを遮るように、光の矢が二人の間に突き立った。ブライアンが空を見上げ、その目が見開かれる。
 天から無数の光の矢がブライアンめがけて降り注ぐ。
「"昏き空の輝きよ、我が声のもと舞い降りよ"」
 第二波を用意する間に、第一波がブライアンを襲った。彼が咄嗟に放り投げた兜に魔法の照準が吸われ、何十本もの光が兜に突き立つ。
「……っぶねえ!」
 思わずといった様子で呟きながら、ブライアンがアレックスに向けて地を蹴り、着地すると同時に横に転がった。彼の着地点に第二波が降り注ぐ。
「……っく!」
 アレックスの魔力では、二発で撃ち止めだ。しかし、自分の中にある大きな力。これを少しだけ解放すれば、もう一発撃てるのでは?
 そう考えて、自分の内部に集中し、その力を少しだけ取り出そうとして。
 まずい、と悟った時には、濁流のように力が外へと流れ出していた。視界が白に染まり、脳が焼ききれんばかりに痛んで。そのまま意識を失った。

「……す、アレックス!」
 自分を呼ぶ声。近頃似たようなことがあったな、と呑気な思考が脳を満たす。
「おい、大丈夫か!? どこか潰れてないか!?」
「……うるさい……」
 背中には地面の感触。そして目を開けば、先程まで戦っていた相手の、やかましい顔。
「悪い、何か来ると思って、咄嗟に押し倒しちまって……頭打ったか? ごめんな?」
「……何か……?」
 自分はあくまで同じ魔法……「スターライトⅠ」を使おうとしただけだ。
「ああ、空からでっかい光の柱が降ってきてさ。あんな魔力あったんだな」
「え、何それ知らない……」
 顔が青ざめるのを感じる。
「……当たってない? ですか?」
「ああ、流石にお前さんは巻き込まないだろうと思って飛び込んだら押し倒して気絶させちまって」
「いや、それは……」
 否定したものの、アレックス自身も何が起こったのか分かっていない。何が起こったか知っているであろう見物人、もとい家族に目をやると。レナックスは頭を抱え、母親は異様に疲弊した様子で、肩で息をしている。
「……ふふ、ごめんなさいね。介入して逸らそうとしたのだけれど、照準を狭くするので精一杯だったわ」
「あれがカナエール様の祝福か……またとんでもないものを……」
 とにかく家に入りましょうか、と言われ。ブライアンから差し出された手を取った。
「……手、大きいですね」
「んー、あんだけでかい剣持つからなあ」
「いくつなんですか?」
「二十。お前さんは……十五くらいか?」
 ごん、と鎧を叩く。
「十七です」
「あ、悪い。じゃあ、成人まであと一年か」
「もう大人です。この村早くて」
「へー、十六で大人かあ」
 まだ子供だけどな、と首を捻る姿と頑丈な鎧は妙に似合わなくて、つい笑ってしまった。

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