西部街道:幼い剣
からからと音を立てながら進む馬車の中で、アレックスはすやすやと寝息を立てていた。初めての野営は、思っていたより体力を回復してくれなかったらしい。ブライアンも腕組みをして眠っている。彼曰く、最早馬車となると眠くなるものになってしまったらしい。
そうして眠っていたアレックスだったが、レナックスの声に叩き起こされた。
「敵襲! マッドオックスの群れだ!」
その声に二人同時に目を覚まし、馬車から飛び出す。
「"昏き空の輝きよ、我が声のもと舞い降りよ"」
たちまち光の矢が牛型の魔物の群れを半分程貫く。残りの半分に、ブライアンが突っ込んでいった。
「どおりゃあ!」
ぶんと振り回された大剣に、大きな魔物達が千切れて飛んでいく。彼の狩り残しを、レナックスが素早い動きで一体ずつ首を刈り取っていく。その間に、アレックスは自分へ向かってきた魔物の首へ必死で剣を突き立てた。引くように抜き、次の一頭の目を切り裂く。暴れ出した魔物の足を切り裂いて止め、首を裂いた。
「アレックス、後ろ!」
レナックスの声が響く。振り向くより早く、肉薄した蹄の音が響く。まずい、と振り向きながら身体を丸めようとして。
飛んできた盾が大きな音を立てて魔物の頭に直撃し、首がぐにゃりと曲がった。首の骨が折れたようで、魔物はそのまま倒れ伏した。
「アレックス!」
ブライアンがぶんぶんと空いた手を振る。彼は片手で大剣を、片手で大盾を振り回していた。盾を寄越せという意味なのだろうが。
「……重っ!」
持ち上げた盾は、取り回すことが精一杯でとても投げ返せそうにない。仕方がないと、盾を前に構えてブライアンのもとまで走る。
「ありがとな。重かったろ」
「うん」
群れは粗方片付いていた。その残党もレナックスに刈り取られていく。二本の剣で同時に二頭の頭を切り飛ばす様は、我が姉ながら圧巻の一言だった。
「レナックス凄えな。あんだけ強いの、俺の世代じゃ一人しか見たこと無いよ」
「あんな化け物がもう一人……?」
「だれが化け物だコラ」
最後の一頭を斬り伏せたレナックスがアレックスの背中を叩く。
「群れとの戦闘は常に背後の気配に注意しな。ブライアンが助けてくれなきゃ骨折だよ」
「はーい……」
「でも、魔法は凄く助かったぜ! 半分はあれで死んでたもんな」
「……母さんの魔法は、もっと凄いんだ。父さんは両方できるし。俺は中途半端……」
「はいはい、へこまない。どっちの素質もあるってことはどっちも極められる可能性があるってことだっていつも言ってるでしょ。私はこの通りだし、リナは魔法寄りだし。ロレは分かんないけど」
「戦い方の基礎はちゃんと出来てたから、身体と技術だな。王都に着いたら頑張ろうな!」
ブライアンとレナックスによる修行。果たして自分の身体は無事だろうか。そんな危惧を抱えながら、アレックスは馬車に戻り剣の手入れを始めた。
「ブライアン、盾持たせて」
「んー? ほい」
ずしりと腕にかかる重さをどうにか片手で持つ。持っているだけで鍛錬になりそうだ。
「これ持って、トレーニングしてて、良い?」
「おー、頑張れ」
盾を両手で持って腕を伸ばし、スクワットを始める。たった五十回で腕も足も激しく痛み、盾を返却して床に転がった。
「……筋肉が成長してる感覚がする……」
「はは、頑張ったな。アレックスの体格じゃ持つだけでキツイだろ」
アレックスは十七歳の少年としては小柄な方だ。修練を積んでいるため、並の十七歳よりは筋力があるが、それでも肉体的なハンデは大きかった。剣の技術の才能はあったのが幸いだった。
レナックスは身体が大きく、技術も五感も優れている。リナックスは戦闘ではどうも勘が弱いが、魔法の才能に優れ、十歳の幼さで既にアレックスと同程度の魔法を使いこなす。ロレックスはまだ木剣を素振りしている段階だ。
「しかし、俺だと訓練相手にはなれるけど、戦い方が違いすぎるからレナックスが来てくれて助かるよ。俺はどうも力任せだからさ」
「その体格があればそれが合理的だよ。私だって魔法の才能があれば魔法を使ってたし、男に生まれてたら斧でもぶん回してた。どっちも無ければ細剣でも使ってたね」
「……そこまでしてでも戦うのか?」
「まあ、勇者の家に生まれたしね。それに、親父とおふくろの背中が好きだから」
「あ、同じだな! 俺の親父も兵士でさ。でかくて強かったな」
「ブライアンより?」
「どうだろ。十年前の開戦の時に、遠征で死んじゃったからさ」
馬車が静まり返る。勇者の血という圧倒的な才能に守られて、アレックスにとって戦いは身近でも死はどこか遠いものだった。
「……あー、王都じゃ珍しい話じゃないし、弟妹も無事に育ってるし大丈夫だぜ?」
「……何歳なの?」
話題を逸らすためだったが、ブライアンは嬉しそうに話す。
「弟が十八で、妹が十歳だな。弟はあの歳で傭兵団の頭をやってるんだ。少数精鋭だけどな」
「へえ、凄いもんだね」
「丈夫な上に俺と違って頭も良くてさ。凄い奴なんだよ」
「その人が、姉貴みたいな化け物?」
レナックスが転がったままのアレックスを蹴る。
「いや、それは俺の同期。グランフォルド家の奴なんだけどな、庶民の俺にも平等だし根性あるしで凄い奴なんだ」
「…………グランフォルド家!?」
「姉貴?」
レナックスは開いた口が塞がらないようで。
「……玉華四家の一つで、一番大きい家だよ。軍のトップ」
「そうなんだよなー。ただ俺と同じで魔法が使えないからって王国軍に入って、今は親衛隊やってる。たまにサモンさんのとこに遊びに来るから、稽古つけてもらえるかもな!」
……どうやら、世界には化け物が数多くいるらしい。
その夜は痛む足をさすりながら見張りに就いた。アレックスの見張りは最後だ。ブライアンが朝食を作りに途中から起きてくるため、一人の時間が一番短い。
今日のご飯は何だろうな、と思いながら周囲を見回していた。その時。
背後から、手が伸びてきた。
「騒ぐな」
口を抑えられ、首元に刃物を添えられる。
「んー!」
咄嗟にロングソードを鞘ごと眠っていた馬に投げつける。まだ制圧されていない今、アレックスは人質でもある。殺されはしない……筈だ。
突然金属の塊をぶつけられた馬は悲鳴を上げ、馬車から二人が飛び出した。
「チッ……騒ぐなと言っただろうが!」
苛立ちを込めたナイフが足に突き立てられる。レナックスの目が怒りに燃えた。
「こっちには人質がいるんだ! 金目の物を出して馬も置いていけ!」
「おいおい、女がいるんだからそれじゃ足りねえだろ」
背後から気配を消していた野盗の仲間達が現れる。……ざっと五人だろうか。ブライアンにもレナックスにも敵わないのが分かる足音の軽さだった。自分が、気配を察知出来てさえいれば。
「……魔法が使えれば……!」
レナックスが唇を噛む。彼女は近づかなければ攻撃が出来ない。ブライアンも同じだ。投擲をするとしても、その動きをした瞬間刃がアレックスを切り裂くだろう。
……魔法。
方法は、ある。アレックスに、その覚悟があれば。
……どのみち自分達が助かるには、斬り捨てられる命だ。誰が手を汚すか、それだけで。
震える手で、ナイフを持った野盗の手を掴む。
「おい、妙な真似を——」
続く言葉を発する前にアレックスの手の中が輝き、盗賊の手がぽとりと落ちた。
「……は?」
片手を失った盗賊の悲鳴より先に、レナックスがその首を落とす。落ちた顔は、未だに何が起こったか分かっていない顔をしていた。姉が更に手を汚す、その前に。自分の未熟さが招いた結果だから。
「"輝きよ"!」
無言詠唱と短縮詠唱。効果は落ちてしまうが、アレックスはそれを習得していた。光の矢が残りの野盗を貫き、静寂が戻る。
レナックスが、静かにアレックスを抱えて馬車に戻った。ブライアンが代わりに見張りとして焚き火の前に座る。
「"命の光よ、彼が灯火を照らしたまえ"」
光が足を包み、傷が塞がる。そのまま抱きしめられて、頭を撫でられて。心臓を冷たく掴むような恐怖と、人を殺したという実感が込み上げて、大きな声を上げて泣いた。
その日の朝食は、味がしなかった。野盗達の死体はブライアンがどこかにやってしまったようで、戦いの跡は飛び散った血痕のみ。
「……姉さんとブライアンは、人を殺したことがあったの?」
特に目的は無かった。ただ、自分のせいで食事の場が無言になることが耐えられなかった。
「まあ、日銭を稼ぐために野党退治もしてたからね」
「俺も、サモンさんの仕事で調査に入る時に反抗されて兵士を殺したな」
この世界の人間は、アレックスが思っていた程優しくも正しくもないらしい。
「……東部中立帯では、西の人間が結構恨まれてる。こういうことも、あるかもな」
「…………うん」
ブライアンの言葉は、暗に慣れろと言っていた。
「慣れたく、ないな……」
仲間の首が落ちたのを見た野盗達の恐怖の目が、こびりついていた。慣れたくない。たとえ優しくも正しくもない人間でも、命を奪うことに。けれども、自分達の命を守るためには、剣を振るい、魔法を撃たなければならない。
何故、勇者は姉ではなく自分なのだろうか。こんな、弱い人間に。
「私は何人か殺したら慣れちゃったからな。……嫌な話だけどね、人って適応するんだ」
「……そうだね」
けれど、そんな自分自身は嫌で。けれど、姉や仲間を失うのはもっと嫌で。
これは、我儘なのだろうか。