王都:強くなるために
ソフィエステッド家に滞在して一日目。朝食を摂った後、アレックスはキャロルに連れられて昨日の研究室とは異なる地下室にいた。レナックスはブライアンと稽古をしているらしい。
ぱっと見普通の部屋だな、と周囲を見渡す。家具も何もない、大理石のような石材で造られた部屋だ。
その割には、妙に居心地が悪い部屋だった。例えるならば、真夏の深夜に海沿いを歩くような。過ごせない環境ではないのに、何かがべたつくような。
「……ここ、あんま入りたくないんだけどね」
居心地が悪いのはキャロルも同じらしい。
「ここはサモン特製の部屋でね。一定以上の魔力が放出された瞬間に相殺する仕組みになってるの。私が六歳の頃には完成してたけど、もう軽いオーパーツよ、これ」
「オーパーツ」
「その時代の技術水準から大きく逸脱したもののこと。昔の技術じゃ作れるわけないのに何故か残ってるもののことね」
「サモンさん、凄いんだね」
「ええ。なんてったってこの国一番の魔術師だもの」
コホン、とキャロルが咳払いをした。
「兎も角。ここならアレックスの魔法が暴走しても被害を最小限に出来るってわけ。……魔力の相殺は常時発動だから、ある程度の魔力を持ってる存在が入ると物凄く居心地が悪いんだけどね。生理的な嫌悪感ってやつ」
「俺もそれ感じる。……ところで、俺はどうすれば良い?」
「ひたすら反復よ」
「……え?」
聞き間違いかと聞き返す。確か昨日、サモンは効率効率と散々繰り返していた気がするが。
「……最初に言っとくと、魔力の制御や操作技術は慣れしかないわ。魔術師の卵も地道に反復練習をして、基本の魔力操作を覚えるの」
「……大変なんだね……」
「貴方の場合、魔力操作自体は出来るわけだからそこまで時間はかからないと思うわよ。というわけではい、魔力を少しだけ取り出してみて」
腹を括り、自身の中で渦巻いている力に手を伸ばす。前よりも遥かに慎重に。一つまみを取り出そうとして。
「…………!」
あの濁流のような感覚と共に、力が一斉に外へ向けて流れ出す。それを必死で堰き止めて。
覚悟していた痛みと共に、止めきれなかった一部が外へ噴き出した。
光の奔流がアレックスの身体から湧き出て、指数本分進む前に消えていく。魔力を相殺する、というのは本当のようだ。
「……だいぶ抑えられた!」
「あれで!?」
笑顔と共にキャロルを見ると、彼女は酷く驚愕した顔をしていて。
「……ここのキャパ超えかけてたわよ……けど、魔力の流れで分かったことはあるわ」
そう言うと、彼女はぶつぶつと独り言を始めた。
「恐らく元の魔力と分離して……となるとむしろ元の魔力を……」
数分間の沈黙の後、彼女は部屋の扉を開けた。
「一度座学の時間よ。研究室に行きましょう」
サモンの書斎に入ると、彼は大量の書類を処理していた。
「おお、お前さん達。どうした? 部屋壊したか?」
「壊しかけはしたわ。それで、研究室開けて?」
「ああ」
カチリと音がしたので、昨日と同じように本棚を動かして地下へ入る。
「サモンさんは何してたの?」
「あれは論文の査読ね。他の魔術師、大概貴族か軍属なんだけど、その人達が書いた論文が正しいか確かめるの」
「……サモンさん一人で?」
「元は他の魔術師に明らかに間違ってるのを弾かせてたんだけど……突飛だけど有用な論文も色々弾かれちゃって。だから今はサモンが全部読んでるの」
「……真面目な人なんだね」
「あの人程真面目な奴、そうそういないわよ。まあ、サモンの脳内で実験した方が他に任せるより早いってのもあるけど。そのせいであの人散々愚痴っといて、仕事振り分けないで抱え込むのよね」
査読くらい私にさせれば良いのに、という呟きを、アレックスは聞き逃さなかった。
「ま、お陰で私や他の魔術師は研究に集中できるからね! 天才様々ってわけよ」
「……そうなんだ」
彼女の笑顔は言葉とは裏腹にどこか寂しそうな気がしたが、口に出せば燃やされそうなので黙って階段を下ることにした。
キャロルの——もしかするとサモンのものでもあるのかもしれないが——研究室は、酷い有様だった。様々な道具が床に散乱し、所々に水たまりが出来ている。昨日の失敗から片付けていなかったのだろう。
「うっげ。片付けないと……」
キャロルが壁の一部を押すと、途端に室内に熱風が吹き荒れる。耐えること数分、道具は更に散り散りになったが、床の水たまりは蒸発した。
「ちょっと道具片付けるからその辺の資料見てて良いわよ」
「……秘密とかじゃないの?」
「全部失敗ログだから。手段を虱潰しに当たる手がかりにはなるけど、そんな根性が無きゃ子供の落書きより無価値よ」
そう言って片付けを始めた彼女をひたすら眺めているというのも暇なので、言葉に甘えて金属製の棚にしまわれた大量のノートを読んでみることにした。
一番綺麗なものを選んで開いてみれば、昨日の日付と研究の内容、その結果が書かれている。
『思考石作製実験・ver124 改善点……魔力の抑制回路をより弱いものに変更 結果……反応無し。更なる抑制回路の弱化』
『思考石作製実験・ver125 改善点……魔力の抑制回路をより弱いものに変更 結果……反応無し。更なる抑制回路の弱化』
『思考石作製実験・ver126 改善点……魔力の抑制回路をより弱いものに変更 結果……意思を注入する前に魔力が決壊、暴走。ver125の抑制回路が限界点と判明。他の手段の検討へ』
『思考石作製実験・ver127 改善点』
「……この思考石っていうのが、意思の研究に使うもの?」
「そうね。意思の検出装置を作ろうとしてるんだけど、中々上手くいかなくて。まあでも、昨日の暴走で回路の一部の限界が分かったから少し前進したわ」
「この辺りに転がってるのが失敗作?」
「そうよ。表面に細かい溝が彫ってあるでしょ? それが魔力回路で、それを設計して思い通りの効果が出るようにするの」
「……よくこんなに細かく彫れるね……」
落ちている石を一つ拾ってみる。決して大きくないアレックスの片手で包める大きさの石には、よく目を凝らしても見えるかどうかという溝がびっしりと彫られていた。これを彼女は百個以上作っているのだ。
上手くいくと良いのにな、と願いながら石を持った手を閉じたり開いたりしてみる。すると。
石が、突然光りだした。
「…………あの、キャロルさん……」
「何よ、改まって」
「石、壊したかも……?」
「別に良いわよ、失敗作だし」
「壊したかもっていうか……光りだしたというか……暴走する前触れかもというか……」
「…………光った?」
首が折れるのではないかと思うくらいの速さで、キャロルが振り向く。思わず悲鳴を上げたアレックスには目もくれず、彼女は足早に近付くとアレックスの手から光を失った石を奪い取った。
「……識別番号……百二十三号……この時は抑制回路しかいじってないから……」
天井の灯りに石を透かしていたキャロルが、再び凄まじい速さでアレックスを見る。
「魔力、込めてないわよね?」
「うん」
「何をしたら光った?」
「えっと……握ったり開いたりしてたら……」
「思考内容は?」
「え?」
「考えてた内容は?」
「研究が上手くいくといいなーって……」
「ちょっとさっきの部屋戻るわよ!」
キャロルに腕を引かれ、階段を駆け上がる。サモンへの挨拶もそこそこに、二人は魔力を相殺する地下室へと戻った。
「アレックスの魔力量なら、無自覚に注入してても石に入る前に相殺されるわ。一方石の反応に使われている魔力は微弱だから相殺されない。というわけでアレックス、もう一回お願い」
「えっと……お祈りすれば良いの……?」
「ええ。この際願い事は何でも良いわよ。ただ、この石に関係あることで。光ってほしいなーとかでも良いから」
何一つ事態が理解出来なかったが、この石が光るとキャロルの研究に良いことが起こるらしい。光って、お願い、と願ってみる。
それに呼応するように、石は再び光を放った。
「…………!」
キャロルが息を呑む。これで良い? と彼女を振り返ると、手の中の石は輝きを失った。
「……基礎設計そのものは間違ってなかった……!」
彼女の声が心底嬉しそうなので。良かったね、と石を返そうとすると。
「となると改善すべきは意思の感度? いやそもそも私が正しく意思を注入出来ていなかったという可能性の方が高い、とするとむしろ回路はいじらない方が良くて意思の注入方法を見直すべき? あるいは私がいっそ教会に弟子入りして意思の力を高める?」
昨日のサモンの愚痴もかくやという速さだった。魔術師というものは、皆そうなのだろうか。
「……何にせよ成功は成功……!」
彼女は早口を止めると、アレックスに向き直った。
「ありがとうアレックス。研究が大きな前進を遂げたわ」
「それなら良かった」
「本当に大躍進よ。この回路にアレックスの名前を付けても良いくらい」
「それは……別にいいかな……」
彼女はサモンに報告すると言って石と共に走って出て行った。地下室に残されたアレックスはそれを見送った後。
「……あ、制御の練習……」
こっそり練習しようかとも思ったが、キャロルがいない状態で部屋を壊してしまう恐れがあるからと彼女を追うことにした。
「検出装置が成功した!?」
サモンが机の上の論文を放り出さんばかりの勢いで立ち上がった。
「最適化には程遠いけど、意思が検出可能なことは九割九分確定よ。残りの一パーセント……勇者自身あるいは子孫であるが故のレアケースである可能性を排除するために教会に行きたいんだけど、口が固くて信仰心が篤くてこんな変な頼みにも協力してくれるお人好しの僧侶の知り合いいない?」
「……いないな……」
部屋に沈黙が流れる。着いてきたものの何一つ分からないアレックスはおろおろと二人を交互に眺めていた。
「サモンさーん、昼飯でーす! 今日はハムとチーズのサンドイッチですよー!」
意気揚々とサンドイッチが盛り付けられた皿を手にしたブライアンが入ってくる。
「ブライアンが運ぶんだ」
「おう、作るのも俺だしな」
「騎士なのに?」
「そりゃ、飯の過程の中で毒殺される可能性は少しでも減らしたいからな。一人で食う飯なら尚更」
サモンが机の上を片付け、皿を受け取る。……つまり、ブライアンは絶対にサモンに毒を盛らない人物として信頼されているらしい。
「お、キャロル! アレックスの訓練進んでるか?」
「ちょっと研究が進んでそれどころじゃなかったわね」
「お、良かったな!」
「まあ、成功と言い切るための手段が見つからなくて今困ってるんだけど……」
「そうか……見つかると良いな!」
石が、光った。
部屋を沈黙が支配する。笑顔のまま首を傾げるブライアンに、キャロルが石を握らせた。
「ブライアン、願い事言ってみて。何でも良いわよ」
「えー、そうだな……この屋敷の人達が元気でいて欲しいし、妹の稽古が上手くいくと嬉しいし、あ、あと弟の傭兵稼業も上手くいってると良いな! 勿論キャロルとサモンさんの研究が進むのも嬉しいし!」
石が激しく光る。サモンとキャロルが、ジリジリとブライアンに近寄っていく。
「ところで、この石何だ? 声に合わせて光るのか?」
「ブライアン……」
父娘が同時にブライアンの肩を掴んだ。
「上司命令よ。研究対象になりなさい」
「え?」
「というわけだ。地下室行くぞ」
「え、え?」
「アレックスはさっきの部屋でスターライトを連発してて! 魔法を繰り返し使うことで魔力の生産量と身体の器としての性能が少しずつ伸びるから! 魔力が回復し次第スターライト!」
「はーい……」
全く事態を分かっていないブライアンが地下室へ引きずられて行くのを見送り、アレックスも書斎を後にした。
「いやー、良い結果が取れたわ! 解析が楽しみね!」
遅めの昼食の席にやってきたのは、ツヤツヤとした顔色のキャロルとげっそりとしたブライアンだった。
「何やってたの?」
「今までの試作品片っ端から持たせて、願い事言わせてたわ。段々ネタ切れしてきて帰りたい……って言ってたけど」
「可哀想に……」
「で、取り敢えず僅かでも良いから反応するのとしないのに分けて、後で性能を詳しく比較するつもりよ」
「百個以上あるのを?」
「ええ。あ、お昼ご飯の後はちゃんと魔力制御の練習するから安心してね」
「うん……それよりブライアンの心配を……」
「アレックス……いっぱい食えよ……」
「ああもう願望言うだけの人になっちゃってる……」
夕飯が近いからと軽めの昼食を摂り、ブライアンはふらふらと稽古に戻って行った。
「それにしても、何でブライアンが反応したのかしらね。魔力のノイズが一切入らないから助かるんだけど」
「うーん……本人が意識してないだけで、日頃から意思の力を使ってるとか?」
「ああ、あるかもね。やたらと頑丈だし」
そんな会話をしながら、片付けの終わった研究室に入る。
「さて、座学って言ってもすぐ終わるんだけど。貴方の体内、どうやら本来の魔力とカナエールから与えられた魔力がほぼ完全に分離して存在してるみたいなのよね」
「あ、確かにこの力はカナエール様からの! って分かるな」
「で、制御出来ずに暴発する原因は、貴方が扱い慣れてる魔力から力が分離していることにあるわ。制御能力としては何も分からない赤子に巨大な魔力を与えたような状態ね。だから、この力をゆっくり本来の魔力に取り込んでいけば、扱い慣れた力として使える筈よ」
「それってどうするの?」
「今から実験して考えるわ」
「…………え?」
固まったアレックスを放って、キャロルが道具入れを漁り出す。
「最近石の作製ばっかりだったからね……えっと、魔力吸収素材どこやったかしら……」
「…………実験って……?」
「取り敢えず、限界まで外部から本来の魔力を吸い取った後力の方も吸い出せるかやってみましょうか。出口が閉じないのか出力の勢いがぶっ壊れてるのか分かるわ。それが分かったら魔力の回復を待った後、ちょっと血を貰ってどの程度の割合で本来の魔力ともらった力が体内で存在してるのか確かめて……」
果たしてあのブライアンの姿は、未来のアレックスだろうか。着々と組み立てられていく実験装置を見ながら、アレックスに出来ることは大人しく覚悟を決めることだけだった。
「……アレックス、何か痩せた?」
「……そうかも……」
今日の夕食は姉弟二人で摂ることになった。サモンは論文の査読、キャロルはアレックスから抜いた血の解析中だ。
「今日のご飯は鴨肉ですよー。血を抜いたそうなので、しっかり食べてくださいね」
アイスの声と共に給仕が夕食を運ぶ。
「そういえば、アイスさんって人間じゃないんですよね」
「そうですね」
「じゃあ、何……なんですか?」
「説明すると難しいんですが……私とフレイムさんは、『魔法具現化』と呼ばれる魔力で構成された生命体です。実体を持つくらいに高密度のゴースト、と言えば伝わりますかね」
「魔力で出来た、生き物……」
「はい。そういうわけで、生命活動も行動原理も人間と大きく異なります。私は、『サモン様の役に立ちたい』という願いから生まれた魔法具現化なので、サモン様の補佐をしてるんですよ」
「……願いから生まれる? それは、ソフィエステッド卿が言ってた意思の力ってやつ?」
「はい。尤も、もっと純粋で、もっと強くて、そして無自覚な願いから私は生まれました」
にこりと微笑んだ彼女は、どう見ても人間の自然な笑顔にしか見えない表情で、己の出自を語る。
「魔法具現化は、巨大な魔力を持つ者が何かを強く願った時、願いの力より魔力の割合が大きい時に願いを核として生まれます。マスター……幼い頃のキャロルの願いと魔力から、私とフレイムさんが生まれました。だからサモン様ではなくキャロルが意思の力の研究をしているんですよ。私達を生み出せたことで、意思の力を彼女が生み出せると確定しているので」
ただ、とアイスが頭を振る。
「当時の彼女は幼かった上に全てが無自覚だったようで。今の彼女は意思の力そのものは強いものの、それを外に表出することが出来ない状態なんです」
「……それは、キャロルに言ってあげたんですか?」
「はい。その結果が、キャロルが百何十個と生み出した意思の力の検出装置です。意思の力が強いのであれば、僅かでも外に漏れ出しているのではないかと。それを検出できるのではないかと。彼女は信じて作り続けました」
「……俺とブライアンが光らせちゃいましたけど、実って良かったですね」
「はい。これでサモン様の理想の世界が一歩近付きました」
それはまるで、自分を生み出したキャロルの努力よりも、サモンの理想を重視しているような言い方だった。
「……キャロルは?」
「はい?」
「……アイスさんにとって、キャロルの努力はどうなんですか?」
彼女の顔から表情が消える。ふむ、と考えるような仕草をして。
「……私達に喜怒哀楽はありますが、貴方達人間がご飯を食べたい、眠りたいと思うような衝動で、私達は核となった願いに縛られています。ですから、そうですね……サモン様の理想が近付いたことが何より嬉しいですが、キャロルの努力が報われたことも、嬉しいのだと、思います。……嬉しさが混ざって、よく分かりませんが」
失礼します、と彼女は去って行った。会話の間黙っていたレナックスが呟く。
「……一つの、それも過去の願いに縛られ続ける生命、か」
悲しいね、と零して。レナックスは静かに夕食を食べ始めた。
「解析結果が出たわ!」
そんな声と共にキャロルがアレックスの部屋に突撃したのは、アレックスが既に寝る準備を済ませた時刻だった。
「石の? 血の?」
「どっちも! 取り敢えず石の方は成功した回路の性能に一定の傾向が見られたから完璧で、血の方なんだけど……」
走って来たのか息を切らせた彼女は、真剣な面持ちになると。
「……良い話と悪い話、どっちを聞きたい?」
「……えっと、良い話から……?」
「貴方の魔力とカナエールの力は分離してはいるけど、あくまで体内に一定の密度で分布しているという点は変わりないわ。だから、混ぜることは可能よ」
「悪い話は?」
「……貴方の魔力を一としたら。カナエールの力は……」
彼女はそこで息を吸って。
「千はあるわ。今混ぜたところで、川に色水を一滴垂らすようなものでしょうね。制御不能よ」
千。途方もない数字に、全く実感が湧かなかった。
「……じゃあ、制御できるようになるために、俺はどうすれば……?」
「単純よ。貴方の魔力生産量を増やすしかない」
彼女は気の毒そうに肩をすくめた。
「勇者の祝福ってのも便利じゃないわね。修行よ」
「そういえば、昨日寝られた? コーヒー飲んでたらしいじゃない」
「全っ然」
「姉に同じく……」
翌日の朝食で、揃って目に薄い隈を作った姉弟がぼやく。何でもキャロルによると、紅茶やコーヒーには集中力を高めて眠りにくくするものが入っているらしい。身体が慣れていないと夜も眠れなくなるのだそうだ。
「俺の村じゃ、飲み物って言ったら水か山羊ミルクだから……」
「私は王都で紅茶には慣れてたけど、それより強烈だったね」
「……山羊ってミルク飲めるの?」
慄くようにキャロルが尋ねた。
「ちょっと癖があるけど。あと、本当は山羊型の魔物を大昔に手懐けて繁殖させたやつって言ってたな。都会のミルクは牛なんだっけ」
「牛ね。チーズとかヨーグルトも全部牛よ」
「牛ミルクか……美味しいのかな……」
「飲んでみる?」
「えっ良いの!?」
「良いも何も、昨日コーヒーに入れてたんじゃない?」
飲み物を尋ねに来た給仕に、キャロルがミルクを二つとコーヒーを一つ頼む。運ばれてきたミルクに恐る恐る口をつけ、その飲みやすさに目を見開いた。
「え……え……?」
レナックスは、王都にいると舌が我儘になる、と言いながら慣れた様子でミルクを飲み、トーストを齧る。キャロルは特に何も入っていないコーヒーを飲んでいた。
「キャロルは砂糖とかミルク入れないんだ」
「この苦味が良いのよ。コーヒーはブラックが至高ね」
朝食を終え、アレックスとキャロルはそれぞれ飲み物の二杯目を飲み、レナックスは二度寝すると言って部屋に戻って行った。
「ところで、俺マナー叩き込まれるって言われたけど」
「あ、研究ですっかり忘れてたわ。アイスに頼んでおくわね。ところで貴方の魔法なんだけど……」
彼女がローブからメモを取り出す。何かを尋ねようとしたところで、客間の扉が開かれた。
「おはようございまーす。あれ、レナックスはいないのか?」
「姉貴はコーヒーで寝られなかったって二度寝しに行ったよ」
「ああ、最初はそうなるよな。起きたら稽古場にいるって伝えといてくれ!」
ついでに俺もコーヒー飲んでく、とブライアンが給仕を呼ぶ。彼の目が離れた隙に、キャロルが恐ろしい勢いで砂糖をコーヒーに入れた。
「やっぱり朝は甘くしたコーヒーだよな」
「ええ。糖分も摂れて効率的だしね。わざわざ苦味に耐えるなんて拷問よ」
「…………」
どうやら、好きな人とは同じ味が好きということにしておきたいらしい。
朝のゆったりとした時間を終え、ブライアンは稽古場へ向かった。その背中を見送り、アレックスとキャロルは魔術実践用だという部屋へ向かう。
「昨日の部屋とは違うの?」
「今から行くのは純粋に頑丈な部屋よ。魔術の威力を見るための部屋ね。ロクに寝れてない状態で稽古しても筋肉を壊すだけだし、ひたすら魔法を撃って魔力の生産量と生産速度、それから身体の許容量を鍛えましょう」
「はーい。ところでキャロルって、武術の訓練の知識もあるの?」
「学問としての知識はあるわ。……前王国時代に粗く研究されただけの分野だから、大雑把なことしか分からないけれど。この屋敷の料理人にもこれを学ばせてるから、身体の強化に最適なメニューを出してる自信はあるわよ」
「ただ豪華なのを出されてるのかと思った……」
「それだったらうちで出す肉は味重視の脂肪多めになってるわよ。健康のために赤身多めのをわざわざ仕入れてるんだからね。砂糖やコーヒーを日常的に摂取してるのも、集中力を効率的に高めるためだし」
そんな話をしながら、目的の部屋に入る。壁と天井、そして床は銀色に光る金属で造られており、部屋の各所に造られた排気口は不気味に音を上げていた。
「……あの排気口、何であんなにうるさいの?」
「ああ、常時空気を換気してるのよ。爆風を逃がしたり、万一有害な空気が発生した時にすぐ排出できるようにね。壁とかは魔法に耐性があって軽量なミスリル銀で鉄を覆った代物よ。王都で一番安全に魔法をぶっ放せる場所ね。まあ、神聖魔法は目標以外への被害が皆無なのが一番の利点な魔法だから、外でぶっ放しても良いんだけど」
そう語る彼女の声は自慢気だった。研究を成功と言い切るまでに慎重な彼女のことだから万一を考慮したのだろうが、ソフィエステッド家が誇る研究環境を自慢したいという思いもあったのだろう。
「で、午前中はひたすらここで魔法を撃って。ちなみに短縮詠唱と無言詠唱は出来る?」
「出来るよ。ただ、集中力とか時間が減って雑になる分威力は落ちるけど」
「じゃあ、その練習も兼ねましょうか。睡眠時間が少ないことだし、あくまで出来る範囲の集中力で良いわ。今日は質より量よ」
「短縮? 無言?」
「どっちの方が、回復魔法では得意?」
「無言詠唱かな。短縮詠唱より時間はかかるけど、威力はそこまで落ちない」
「じゃあ、無言詠唱で魔法を使ってて。何でも良いわよ。後で水を使用人に持ってこさせるから、一応扉からは離れて、奥の壁を狙っててね。ノックはするでしょうけど」
「うん」
じゃあ、と扉を開く彼女に問う。
「回復魔法を重視する必要性があったの?」
「……星都スターリアで神父長には頼んでみるけど、東部に同行してくれる僧侶が見つかるか分からないのよ。そうなる以上、魔法の適性が高い貴方は貴重な回復役だわ。もしかしたら、魔力を使わせないために神聖魔法を制限する可能性もある程度にはね」
「キャロルは、回復魔法は?」
「私は魔術師よ。……子供の頃なら使えたのかもしれないけど、魔術に慣れた今となっては難しいわね」
出来ない、と簡単に言い切らないところは彼女らしかった。
「あと、貴方の性格が回復魔法に向いてるのよ。ブライアンから聞いた道中の話からの推測だけど。共感性が高い人物、特に他者の痛みに敏感な人は回復魔法に向いてるわ」
そういう人程すり減りやすいのが難だけどね、と言い残して。彼女は部屋を出ようとして。それをもう一度呼び止めた。
「この部屋、どのくらい汚して大丈夫?」
「ああ、たまに魔物連れてきてスプラッタにしてるから何しても良いわよ。回復魔法は怪我する必要があるものね」
「うん。……あと、姉貴を連れてきてもらえるかな」
「分かったわ」
部屋を出ていく姿を見送り、座り込んで息を吐いた。
薄々、自分が後衛に下げられることは昨夜のうちに覚悟していた。アレックスには莫大な魔力が与えられたのだ。回復にせよ攻撃にせよ、それを生かさないのは宝の持ち腐れと呼ぶ他無いだろう。加えて回復魔法を使えるものがアレックス達姉弟しかいないとなれば、誰かが重傷を負えばその怪我はアレックスにほぼ一任される。レナックスは応急処置程度の威力しか持たないヒールⅠ以上は使える見込みがほぼ無いのだという。ヒールⅠ以外の回復魔法を持たないのはアレックスも同じだが、その威力にすら姉弟で差があるのだ。
もし重傷を誰かが負った時、そしてヒールⅠでは間に合わない時のために。アレックスは緊急用の手段を持たねばならない。
「アレックス、回復魔法の練習するって? 自分で斬るのびびった?」
レナックスが扉を開く。自分の顔が引き攣るのを感じながら、口を開いた。
「それは俺でやるよ。……姉貴には、万一がありそうな時人を呼んでもらいたくて。サモンさんくらい偉い人なら、優秀な薬師さんの知り合いもいるだろうし」
レナックスの眉がひそめられた。
「あんた、何する気?」
すぐには答えず、鞘からロングソードを抜き放った。緊張で歪んだ己の顔が、手入れされた表面に映る。今からこれが、アレックスを貫くのだ。
「俺は、レイズⅠを覚えようと思う」
屋敷に、絹を裂くような悲鳴が響いた。
「ゆ、勇者様……!? は、早く医者を……!」
「あ、見た目程酷くないので、っげほ、がっ……うー……あと医者って薬師の仲間ですか……?」
無言詠唱のヒールⅠで、腹からの出血を徐々に治していく。「意図やタイミングが分かりにくい」以外の無言詠唱の利点は、集中力が保つ限り継続使用が可能な点だ。現在のように、言葉が途中で途切れざるをえない場合やそもそも声を出せない場合でも使えるという利点もある。
「このくらいの怪我からなら生還出来るけど……まだ全然レイズの限界範囲じゃないんだよな……」
「あー、使用人さん、水もう一回多めにお願いします。弟、出血で結構水無くなってるので」
「…………回復魔法の研究は、出血を伴うのですか……?」
流石サモンの家の使用人だ。研究の臭いがした瞬間冷静になった彼女の様子に安堵する。
「研究者さんは分からないですけど、俺達が練習する時はどうしても怪我をしてから治さなきゃいけないので……」
「であれば、緊急用の薬をお持ちします。勇者様に万一があってはなりませんので。それとこちら、マジックウォーターになります。魔力を瞬時に補給する効果がありますので、魔力切れの際にお飲みください」
失礼します、と使用人が部屋を後にする。傷は殆ど塞がっていた。魔力も切れている。ありがたくマジックウォーターの栓を抜きながら、答えられなかった問いを姉に流した。
「姉貴、医者って何?」
「薬師よりもっと専門的な技術や道具を使って病気や怪我を治す職業。王都でしか見たこと無いね。大体は熟練の僧侶が兼任してる」
「薬師よりすごい人か……取り敢えず、もう一回刺すのは薬を待ってからの方が良いよね」
「そうだね。水飲んどきな」
レナックスが運ばれてきた水差しからグラスに水を注ぎ、アレックスの口元まで運ぶ。両手は自身の血で汚れているので、そのまま飲ませてもらうことにした。
「……私の目には成功してるように見えたけど。あれはレイズじゃないの?」
「うーんと、レイズのもとではあるかな」
首を傾げる姉に説明する。
「レイズは生と死の間にある命を生に繋ぎ止めておくためのもの……ヒールはあくまで身体の回復力を利用してあっという間に傷を治すけど、レイズは魔力で生命活動そのものを強引に動かすもの、っていうのは母さんから二人で聞いたよね」
「うん」
「で、俺が覚えようとしてるレイズⅠは、瀕死から数分放っておいても死なない程度まで傷を塞ぎながら血とかを再生産する魔法なんだけど。俺の今の怪我じゃ、身体の方の回復力を魔力が勝手に使っちゃって純粋なレイズにならないんだよね。普通にヒールを使った方が怪我の治りも魔力の効率も良いよ。そもそもレイズの練習が久しぶりだから、魔力で生命活動を動かせるか確かめておくためにやったけど」
加えて今回、アレックスは回復魔法の応用で痛覚を切っていた。魔法に集中するためだ。重大な怪我に気付かない可能性があるため、普段は一切使わない技術である。実戦では痛みを抱えたまま、咄嗟に使えなければいけない。
「ってことで、薬が来たら徐々に怪我を深くして、回復能力が使われる割合をどんどん減らしていこうかなって。気絶したら治してね」
「任せな。多分ポーション……いや、この家ならハイポーションが来てもおかしくないな……」
そんな会話をしていると、再び扉が開かれる。運ばれてきた五本の瓶を見て、レナックスが目を丸くした。
「……ステイミュラント!?」
「ステイミュラント?」
「レイズみたいな効果の魔力薬だよ。超高い」
「どのくらい?」
「宿屋に一月は泊まれるね」
「ひえっ……」
「足りなくなりましたら、お申し付けください」
「はーい……本当に弟のためにありがとうございます……」
「いえ。勇者様へのご支援は、国のためでもありますから。……サモン様は、勇者様に成長していただきたい一心だと思いますが」
あれで子供好きなんですよ、子供からは嫌われますが。そう残して再び扉は閉じられた。
「……俺成人」
「王都じゃ未成年だ。甘えとけ」
「むー……」
じゃあ、と再び痛覚を切る。先程の深さは手が覚えていた。己に向けられた切っ先には、やはり恐怖が湧く。それを踏みつけて、再び自分を貫いた。
突き刺して、魔法を使って、また刺して。とうとうマジックウォーターも無くなったため、ぼんやりと魔力の回復を待っていると、キャロルが部屋の扉を開いた。
「予想以上に汚したわね……何回切ったの?」
「えっと……二十回は刺したかな。マジックウォーターきれちゃった」
「昼食だしちょうど良いわね。あと、あんた昼寝したら? 凄い顔してるわよ」
「え、良いの?」
「良いも何も、服までとんでもないことになってるし……この際風呂に入った方が良いわ。取り敢えずご飯の前に着替えてきなさい」
「分かった」
穴が開かないように捲ってはいたが、流れる血はどうしようもなく。元々青を基調としていた服は真紅に染まっていた。
「それで、午後は十五時からアイスにマナーを教えてもらって」
「分かった。……起こしに来てくれない?」
「部屋の置き時計、指定した時刻に音が鳴るからそれで起きて。使い方は教えるから」
「はーい」
結局けたたましい音が鳴る部屋の中ですらすやすやと眠っていたアレックスは、部屋に入ってきたアイスから氷を額に当てられ飛び起きることとなった。
「使用人から聞きましたよー。寝不足でレイズの練習してたんですか?」
「え、まあ……早い方が良いかなって」
「私は睡眠不足による回復力の低下はありませんが、人間の回復力は寝不足なだけで若干落ちるので、元気な時の方が安全ですよ」
「次から気をつけます。……それで、どこでマナーの練習をすれば良いですか?」
「特にこだわりが無ければ、大広間でやりましょうか。実際の謁見も、広さだけならあんな感じでしょうし」
連れられた大広間は、白い大理石と赤い絨毯の対比が美しい空間だった。ソフィエステッド家でも美しさを重視する場所は残しているらしい。
「あっちを出入り口として、玉座はこっちですね。私が立ってるので、正面……そうですね、実際には階段があるので、その手前で止まってください」
「跪く、とかは?」
「絶対しないでください。外交問題になるので」
「……え?」
礼儀を示すだけで? と目で問う。
「勇者は、神から直接祝福を賜った立場。一族はあくまで貴族と同格ですが、勇者本人は教会の最高権力者と同等です。そんな貴方が王に跪くことは、教会の立場が王政の下であるという意味になってしまうのですよ」
アイスは、全く笑っていない目でにこりと微笑んだ。
「と、いうわけで。今日から謁見の日まで、アレックスさんには『教会の最高権力者として』の振る舞いを覚えてもらいます。大丈夫ですよ。下手なことをしたくないのは王政も同じなので、挨拶だけで解放されます。むしろ常識が違う存在である分、向こうからしたらどこが逆鱗かも分からないでしょうし」
それは、田舎から出てきたばかりの少年には何より恐ろしく響いた。