王都:世界を回すもの

|→

 とうとう、その日が来てしまった。
 サモンがこの日のために職人を急かしたという、青と白——教会を象徴する二色で彩られた重々しい鎧を着て、金の装飾で飾られた馬車に乗り込む。この日の同行者はレナックス、ブライアン、サモンだ。ブライアンはいざという時のための護衛だという。
「いざという時って何ですか?」
「王国が俺に無断で勇者の暗殺を企ててた場合だ。賊の襲撃とかに見せかけてな」
「……俺の、暗殺?」
 声が掠れた。確かに貴族は暗殺や蹴落とし合いをしていると聞いていた。サモンが毒殺や侵入者を警戒していることも。しかし、その危険が自身にも及ぶとは。
「何なら俺もいるから尚更な。勇者と俺をまとめて消そうとする奴の心当たりはいくつかある」
「……何で……」
「その辺は帰ってから説明しよう。取り敢えずお前さんはこれ持っとけ」
 透明感のある、白く輝く小石を渡される。何らかの魔術回路が刻まれているのだろう。
「それを割ると、『エスケープ』という古式魔術が発動する。お前が『建物』と認識している場所の出口に飛ばされる魔術だ。遺跡から発掘された俺にも作れない代物だが、まあ遠慮なく使え。入手する当てはあるからな」
「……サモンさん達は?」
「こう見えて俺は強いんだよ。魔術も隠し玉も山程持ってる。ブライアンは護衛だと言ったが、千人傭兵が来ようが俺が二人を守って城の出口まで行けるくらいにはな。尤も俺は立場上王を守る素振りをしないといけないから、ブライアンはレナックスの護衛だ」
「大勢を相手にするなら魔術師の方が強いからなー」
「逆に、東部の暗殺集団なんかを雇われてたら頼むぞ。俺は近接されたら何も出来ん」
「えー、サモンさん近接でも魔力操作? で……」
「近接に弱いってことにしときたいんだよ。本当にとんでもないことになった時のためにな」
 これから出会う貴族や王もそうだが、サモンも底が知れない人物だ。この人は何をどこまで考えているんだろう、と見つめていると、サモンが気まずそうに目を逸らした。
「……うちの両親は、暗殺されてんだよ」
 息を呑む。
「理由は後で詳しく話すが。まあうちは政治的に厄介でな。それに、魔法審問官の仕事で家ごと潰した奴等もいる。だから厄介事は魔術にこじつけてうちに来るし、うちと深く関わってるお前さんにも身の危険がある。俺の屋敷は、両親の命と引き換えの教訓から王都一安全にしたが、正直外は俺だって不安だ。……くれぐれも、警戒を怠るなよ」
 馬車が静かに動き出した。それに合わせるように、サモンが明るい声に切り替える。
「ま、万一勇者を巡ってうちと国で戦争になっても、どうにかなるだけの戦力はあるからな。そもそもうちには鼠一匹入れないし。向こうが泣いて謝るのを待つだけだ」
「サモンさんで並の兵士千人分はありますしね」
「最悪スターリアに亡命すれば良いしな」
 ブライアンは、既に肚が決まっているらしい。全く洒落にならない冗談の言い合いは、凍りついた空気をどうにか溶かそうとしているようで。レナックスが、籠手に包まれたアレックスの手を強く握った。

 王城の門の前で馬車を降りる。途端に無数の視線を感じ、身体が反射的に竦もうとする。それを必死に抑えて、アイスに教えられた通りに胸を張った。
「勇者殿の来訪だ! 親衛隊!」
 サモンが声を張り上げる。途端に赤い鎧の女性に率いられた水色の鎧の一団が城から現れ、アレックスの前に跪いた。
「親衛隊長のジャンヌ・フォーナ・グランフォルドと申します。この度勇者殿をご案内する名誉を仰せつかりました」
 グランフォルド。確か、軍事を司る家で、ブライアンの同期がいるという家だ。親衛隊ということは、この女性がその同期だろうか。
「アレックス・スタール・ルミネス・マーゼルゲイズです。この度は世界を救うための貴重な機会をいただき、誠に感謝いたします。有益な一日になることを心より願います」
 暗記していた言葉を咄嗟に口に出してしまう。……確かこれは、王と出会った後の第一声だ。真っ青になったアレックスを見て、ジャンヌが優しく微笑む。大丈夫だ、と口が動いた。
「それでは、我らが王のもとまで案内いたします。整列! 何人たりとも勇者殿に近付けるな!」
 途端に親衛隊達がアレックス達四人を囲む。そのまま一行は、城の中へと入って行った。
「……ジャンヌさん」
「ジャンヌで結構です。何でしょうか、勇者殿」
「……ブライアンの同期って、あなたですか?」
「……あいつは、人の出自をペラペラと……悪気はないのでしょうが……」
「凄く褒めてました」
「光栄ですね。ソフィエステッド卿自ら選んだ騎士から認められるとは」
 ジャンヌが苦笑する。振り向くと、ブライアンはそっぽを向いて聞こえないふりをしていた。
「こちらの大階段を登ると、王の玉座前の扉です」
「…………大きい……」
 二十人は一気に登れそうな幅の階段だった。長い階段を上り、二人がかりでも開くかどうかという扉の前に辿り着く。
「歴史的に非常に重要な場となるでしょう。勇者殿」
 ジャンヌの目がアレックスを真っ直ぐに見つめる。それは力強く、それでいて優しくて。
「このような場に立ち会えること、非常に光栄に思います。……貴方がたは何があろうとも、我らが守ります」
「おいジャンヌ、それどういう——」
 サモンの詰問より早く、大扉が開かれる。同時に親衛隊達は横にはけ、ジャンヌがアレックスの前に立った。
「それでは、王の御前へ」
 前を進むジャンヌについて玉座の間に入る。サモンの大きなため息が聞こえた。あれは、何かを抱えることを決めた時の音だ。数日間の暮らしからそれを察せるようになっていたため、アレックス自身も覚悟を決める。
 自分はこれから、危険に晒されるのかもしれない。それでも堂々としているのが、アレックスの役割なのだ。

「勇者殿、ここまでご足労いただき感謝する。余がミッドレイン八世である。この度の出会いに心から感謝しよう」
「アレックス・スタール・ルミネス・マーゼルゲイズです。この度は世界を救うための貴重な機会をいただき、誠に感謝いたします。有益な一日になることを心より願います」
 この際もう一度言ってしまえ、と台詞を繰り返す。自分の背後ではレナックス達が跪いているが、それでも立っていることが、圧倒的な立場であるアレックスの役割だ。
「時に勇者殿。王都での暮らしに不自由などはなかったかの」
「ソフィエステッド卿には非常に良くしていただいています。研鑽の場も与えていただき、感謝しています」
「それは何より。して、文書にして送った件であるが。東部への出立と戦争の終結、引き受けていただけるだろうか」
「世界の平和と幸福が我らが望み。喜んでお受けいたします」
 途端に玉座の間の雰囲気が緩む。詰めかけていた貴族達も、それらの上に立つ王も、どこかで不安だったのだろう。合意が交わされたことを祝して、握手をするために玉座前の階段を登る。籠手を外し、年配の王のしわがれた手をとった。
「……勇者殿。誠に申し訳ないが、しばし茶番に付き合ってくだされ」
 目を見開く。そして、頷いた。つまり、サモンの危惧は——
 街を見渡せる大きな窓が割れた。同時に暴風が吹き荒れ、窓近くの貴族達と兵士が吹き飛ばされる。同時に、顔を布で隠したローブの集団が高層である筈の玉座の間に侵入してくる。
「"lame collie colie flanme rife"!」
 声が重なる。初めて聞く詠唱だった。攻撃魔術だろう。勇者として、世界を守る者として、求められる行動は。
 視界の端でジャンヌが動いたが、それより素早く王を背中に隠し、剣を前方に向ける。
「"昏き空の輝きよ、我が声のもと舞い降りよ"!」
 数日の研鑽の結果、スターライトは射出方向を変えられるようになっていた。アレックスに殺到した十数個の巨大な炎の塊を、強い意志を込められた光の矢が貫き消していく。魔術師達を仕留めるためにもう一発、と口を開いたところで。
「"reeze colie teral gran sprea brize ilie"」
 サモンの朗々とした詠唱が響く。空間全体が冷気に包まれ。
 魔術師達は何の抵抗も出来ず、氷に包まれていた。
「……たとえ無言詠唱が出来たとしても貴奴らでは溶かせない氷で捕らえました。して我らが王、この不届き者をどういたしましょうか」
「牢に繋ぎ、何奴からの命か徹底的に調べ尽くせ。魔術師を使ってきたからには、そちらに繋がりのある者だろう。この件は魔法審問官サモン・フォーナ・ソフィエステッドに命じる」
「御意」
 ……サモンの危惧は当たったが、既に手は打たれていたわけだ。彼の心労と仕事は更に増えたが。
「あれが、勇者の魔法……」
「僧侶の魔法とも違ったぞ、聞いたこともない詠唱だ」
「当たり前だ! 星光魔法は勇者の末裔のみの魔法だぞ!」
 そんなざわめきが、空間を満たしていく。その中で、刺すような冷たさを感じた。
 そちらの方向を向けば、赤い服に身を包んだ青い髪の貴族がこちらを睨んでいる。……あれは、憎悪の目だ。
 アレックスの目線に気付いたのか、彼は静かに目線を外した。そのまま周囲の兵士に指示を飛ばしている。……人は憎しみを抱いたまま、こうも平然として見えるものか。
 どこか呆れすら感じながら、剣を収める。本来なら、自分達はジャンヌに従って退場する筈だ。ジャンヌを探すと、彼女はサモンと何かを話していた。どうすれば良いですか? と問いを含んだ目で二人を見つめていると。
「……失礼。親衛隊長と、彼等の留置場所について話しておりました。我々はこれで帰還することにいたしましょう」
 サモンさんの敬語だ、初日以来だな、と場違いな感慨が湧く。一行はジャンヌの案内で城から出て、馬車に乗った。全員が無言のまま、親衛隊と兵士達に見送られて城門を後にする。ソフィエステッド家まで辿り着いて、いそいそと門をくぐり。
「…………っの野郎事前に俺に言いやがれ!」
「いやー、情報掴んだの直前だったんじゃないですか?」
「だとしても俺が察さなかったらどうするつもりだよ! アレックスが相殺出来たから良いものの! あれ本来俺が相殺するんだろ!? あと仕事増やしやがって!」
「必要な仕事ですよー。てかサモンさんなら何も知らなくても迎撃出来ますよ」
 ブライアンとサモンがいつもの雰囲気に戻る。つまりは、もう安全ということだろう。
 途端に足から力が抜けて、その場にへたりこんでしまう。
「あ、姉貴……」
 振り返ったレナックスは、いつもよりもずっと優しい顔をしていた。そのまま背中に背負われて。揺れる背中は鎧に阻まれて体温が分からないが、心は酷く暖かかった。
 自分は、やり遂げたのだ。

 その日の夕食は、姉弟に父娘、更に魔法具現化二人という大所帯だった。尤もフレイムはキャロルの隣の席で小さくなっているが。
「じゃあ、謁見を終えたことと目出度く俺の仕事が増えたことを祝って! 乾杯!」
 音頭をとった直後、サモンがワインを勢い良く飲み干す。本人曰く、飲まなきゃやってられない、とのことらしい。アレックスはすっかり気に入ったミルクに口をつける。レナックスはワイン、キャロルは紅茶だ。魔法具現化二人は水の入ったグラスを掲げ、食事を始める一同を眺めている。
「ブライアンは帰ったんですか?」
「いや、あいつは客人と妹を迎えに行ってる」
「客人?」
「ジャンヌだよ。あいつの同期で、俺が一時期面倒見てた相手」
「……魔術師が、戦士の?」
「まあ色々とな」
 サモンは既に二杯目も飲み干していた。色の薄い頬が赤く染まっている。
「ちょっとサモン、この後政治の話出来るの?」
「あー、出来なかったら明日だ明日! 俺は疲れた!」
「もう……」
 呆れた顔でキャロルが給仕に水を頼んだ。お祭りで酔っ払う大人達みたいだな、と微笑ましく眺めていると、服の裾をついついと引かれる。
「ん?」
 隣には、いつの間にか移動してきていたフレイムがいた。
「……サモンの家……キャロルの居場所守ってくれて、ありがと」
 それだけ言うと、彼女はキャロルの隣へ駆けて行ってしまう。人見知りだと聞いていたが、これを伝えるためにこの場に来たのだろうか。
「サモンさーん、ジャンヌ来まし……あー飲んでる!」
「相変わらず貴様の声はやかましいな……」
 ブライアンの大声と、ジャンヌの呆れ声が響く。客間にやってきた二人は、既に料理が並べられていた空席に着くと、用意されていたグラスを掲げて乾杯、と声を揃えた。中身は二人共ワインだ。
「改めて勇者殿。此度の協力、誠に感謝します」
「俺は出来ることをしただけなので……」
「いえ。迎撃を行っていただけたことで、勇者殿が王に協力的である姿勢を示し、『勇者を失うことは国の損失である』と印象付けられました。これにより、我が家は勇者殿への支援を決定。また、此度の賊の担当がサモン殿になったことで、徹底的に反逆者を潰すことが出来ます」
「俺の心労と引き換えにな……」
「……サモン殿にとっても有益でしょうに……」
「あー、普通に喋っていいぞ。もう無礼講だ。無礼講」
「そんなだから貴方は威厳が無いんですよ」
「撤回。敬え」
 サモンとジャンヌの雰囲気は、気心の知れた者同士のそれだった。国でも有数の貴族であるサモンが善人で気安い人物であるからこそ、アレックスに憎悪を向けるあの貴族のことが分からない。
「……あの、俺の勘違いかもしれないんですけど」
「良いぞ良いぞ、研究なんて仮説からだ」
「ほんとに酔ってるな……あの、赤い服で青い髪の貴族の人が、俺を憎んでる気がして」
 途端にサモンが水を一気に飲む。真剣な面持ちになった彼は、暗殺について話していた時と同じ鋭い目をしていた。
「……理由を聞こうか」
「俺、ふわっと周りの人の感情が分かるんです。キャロルからは共感性が高いって言われましたけど。それで、その人が凄い冷たい目と感情を向けてきて……あ、全然当てにならないですけど!」
「……ミッドゲイズ家か、可能性は十分あるな……」
 サモンが呟く。ミッドゲイズ家。確か、玉華四家で、アレックス達と同じ勇者の末裔だ。
「あー、順番に説明すると、王の御前で赤を許されてるのは玉華四家の関係者だけなんだ。で、その中で青髪はミッドゲイズ家の血筋だな。で、人の感情が分かるってのについては、お前さんが勇者の末裔という特殊な個体である以上マジの可能性があるってわけだ」
「サモン、酔ってるから口調滅茶苦茶よ」
「ほっとけ。で、ミッドゲイズ家は王が使える勇者の末裔ってことで地位を確立してる家だ。それが、他の家からガチの勇者が出ちまった。それも田舎で情報が殆ど無いマーゼルゲイズ家から。選ばれなかったってことでプライドはズタボロ、ついでに自分達の地位を脅かされる危険性もあるかもしれない。消したい理由はあるわな。何ならうちはミッドゲイズ家から恨まれてる」
「……サモンさん、何かしたんですか?」
「先祖代々恨まれてんだよ。ミッドゲイズ家と、そこに近い家からな。うちは前王国、先代の勇者の国の時代から存在してる。そんで、未来永劫マーゼルゲイズ家に何かあったら頼むって言伝をされてんだ。ま、早い話勇者の末裔って特権と立場を脅かすかもしれない奴等の味方ってことだ」
「……初耳なんですけど」
「『何か』が今まで来なかったからな。そもそも何で国の端っこに勇者の末裔なんて重要なもんが代々定住してんのかも謎だし。あとはまあ、この謎の言伝を守る気があったのがうちの両親と俺だけだったってのもあるな」
 サモンの両親は、暗殺されたと言っていた。まさか、アレックス達の味方であろうとしたせいで?
「……勘違いするなよ。そもそも俺の両親は研究ばっかで政治に関して疎かった。貴族社会じゃ淘汰される個体だっただけだ」
「でも……」
「でもじゃない。大体、俺の親はそっちに何も出来てないんだ。挙げ句成人したばっかの俺にでかい責務と『魔法審問官が魔術で暗殺される』なんて汚名を残しやがった。研究者としてすら二流、貴族としちゃ三流以下だ」
「あの、サモンさん」
「何だ」
「俺、感情が分かるって言ったじゃないですか」
 サモンが口を止める。彼の目と声から感じたのは、深い悲しみだけだ。アレックス達への憎悪も、親への怒りも、微塵も無い。この人は、とんでもなく優秀なだけで、どうしようもなく優しい人なのだ。
「……酔った。寝る。政治の話は明日すんぞ。ジャンヌは泊まってけ。部屋なら余ってるから」
「はい」
 そのままサモンが客間から出て行って、部屋は沈黙に包まれた。
「……すまないな、アレックス。昔から、何かと不器用な人なんだ」
 ジャンヌの声には、どこか懐かしむような響きがあった。
「ほんとよ! あの人、引き取ってきた六歳児に『今日からお前の公的な親になるサモンだ、何か質問は?』って……六歳児が公的とか分かるかっての」
「私が生まれちゃった時も、『法的な管理人になる人間だ、差し当たって質問は?』でしたからね」
 キャロルとアイスが続ける。果てはフレイムまで頷いていた。
「……ってわけで、サモンさんのことは気にしなくていいぞ! あの人も俺達より大人だし!」
「……うん」
 サモンは優しい。この件でアレックスが傷つくことを、彼は望まないだろう。
 その後は賑やかな談笑で、夕食の時間は過ぎていった。

 サモンの屋敷は、テーブルと椅子のセットが置いてあるベランダがいくつかある。使用人や騎士の休憩用だそうだ。尤も、騎士はブライアンしか雇っていないそうだが。本当はその彼すら雇う気は無かったらしい。優秀な騎士は大概幼い頃から教育を受けてきた貴族の次男以降や庶子であるため、他所の息がかかった者を屋敷内で働かせたくないサモンは騎士を雇わないのだという。
 そんな話を思い出しながら、アレックスはベランダの椅子に小さくなって座っていた。成人組が飲めや騒げやとなったので逃げ出したのだが、狙っていたベランダには既にサモンがいたのだ。足音を消して離れる前に、魔力を察知したサモンから声をかけられてしまい。爽やかな酸味のする水を飲みながら、二人無言で外を眺めているのだった。
「……マーゼル村には、レモンは来るのか?」
「れもん」
 少し考えてから、もしかして水差しの中に入った黄色い果実のことだろうかと気付く。
「今初めて見ました。俺の村に入ってくるの、鉄鉱石か保存用の乾パンくらいなので。あ、あと糸とか。ビールも大人達が飲むからって」
「そうか。マーゼル村とウォータルは近いから、出荷されてるかと思ったんだがな」
「ウォータル……って、南西の端っこの大きい港町ですよね」
「ああ。王国三番目の都市だ。交易と魚介、それから柑橘で成り立つ街だな。まあ、果実の出荷は値が張るし難しいか」
「リンゴは育ててました。壊血病が昔の俺の村では起こりやすくて、リンゴを沢山食べると防げるからって。シードルとかも作ってました」
「ああ、果実の成分は壊血病の予防に効果があるからな。ウォータルでレモンやオレンジが大量に育てられてるのも同じ理由だ。柑橘類は効率良く壊血病を防げるからな」
「……帰ったら、レモンを入荷してみないかって言ってみようかな……」
「今の食生活で健康なら無理に取り入れる必要は無いと思うが……文化交流によって新たなものが生まれることもあるしな」
 蒸留酒に入れると美味いぞ、と言うので。首を傾げると、十八になってからだと笑われる。
「そうなる前に、家へ帰れるようにしてやりたいところなんだが。最低でもスターリアまではお前さんの旅は続くことになるだろうし、スターリアじゃほぼ間違いなく魔王の討伐を頼まれるだろうしな」
「そういえば、王様は『戦争の終結』は頼んでも『魔王を殺すこと』は頼みませんでしたね」
「ああ。ミッドレイン八世は融和派なんだ。……恐らく今後、停戦交渉を内密に頼まれるだろうな」
 ガキに負わせるにゃ重すぎる、と砕けた口調でぼやく。
「……俺、マーゼル村じゃ大人です」
「キャロルと同じことを言うな。あいつも田舎じゃ成人の年齢だって聞かないんだ。十六になったのだって、まだ去年の夏だってのに。あと三ヶ月経ったって十七だぞ?」
「……彼女は、何歳くらいの頃ここに来たんですか?」
「六つの頃だ。まあなんやかんやあってな。お互い利害が一致したから引き取ったってわけだ」
 幼い彼女を思い出したのか、サモンの顔が緩む。六歳のキャロルは利害とか分かってたのかな、と考えながらレモン水を自分のグラスに注いだ。
「……この屋敷に貴族はサモンさんだけだって、使用人さん達から聞いたんですけど」
「あいつら、んな話まで……まあ、珍しいことではあるわな。貴族の庶子、特に女性は他所の屋敷で使用人として働くことが多い。雇い主としても礼儀を幼い頃から叩き込まれてる使用人は表に出せるし、使用人側は他所の貴族に見初められて玉の輿を狙えることもあるからな」
 だから嫌なんだよ、とサモンがぼやく。
「俺は本来ならとっくに結婚の適齢期を過ぎてんだが、まあ古い家ってこともあって婚姻狙いで娘を雇ってくれって言ってくる新しい貴族が多いんだ。雇えるか、んな危険物」
「サモンさんは、結婚したくないんですか?」
 マーゼル村では、そういう老人はたまにいた。そもそも家という境界線の薄い村だ。結婚には、血筋以外の意味は薄かった。マーゼルゲイズ家は勇者の血筋を絶やさないために、誰かは結婚して子供を増やすことが義務のようになっているが。貴族も同じだと思っていた。
「…………面倒臭え! ただでさえ仕事と研究で死にそうだってのに、その上結婚なんてしてられるか! 王家と玉華四家以外に嫁の実家にも気を遣うことになるんだぞ」
「あはは……」
 位が低いからと見下すのではなく、しっかり気を遣うのがサモンらしい。
「そもそも、俺は家の得になる奴じゃなくて信頼できる奴と家族になりたいんだよ。貴族社会じゃ笑い者だが」
「俺は良いと思いますよ」
「そうか、まあ飲め」
「お酒みたいに言わないでください……」
 そうしているうちに、サモンがテーブルに突っ伏して眠ってしまったので。彼の寝室はどこだろうかと、軽い身体を背負いながら使用人を探すのだった。

「つくづく仕事以外は出来ない方だとは思っていましたが、まさか子供に背負われて部屋に戻るとは」
「はい……」
「もうすぐ三十路という自覚はありますか? 本来なら貴方が子供を支える立場ですからね」
「返す言葉もありません……」
 大人が説教される場面を、アレックスは初めて見た。朝目を覚ますなりブライアンが「面白いものが見れる」と呼びに来たのでサモンの書斎に向かったのだが、そこでは部屋の主がジャンヌに説教されていたのだ。
「怒り方、うちの母さんと同じだ……」
「優しそうに見えたけどな」
「怒らせると父さんより怖いんだよ」
「そこ二人、人が怒られてるところを見世物にするな」
「サモン殿、話は終わっておりません」
「すみません……」
「そこの二人も、こんなものを眺めているくらいなら鍛錬でもしてきなさい」
「はーい」
「こ、こんなもの……」
 朝食を摂りに客間へ歩く。ブライアンは鍛錬場へ向かった。客間に着くと、キャロルとフレイムが会話をしながらコーヒーを飲んでいる。フレイムはアレックスに気付くと、一礼だけして走って行ってしまった。
「おそよう。サモンを見なかった?」
「書斎でジャンヌさんに説教されてたよ」
「ああ、いつものことね。いつ結婚するのかしら」
「けっ……」
 昨晩あれほど結婚したくないとぼやいていた人間が。
「グランフォルド家から散々話が来てるのよ。ジャンヌも貴族の娘としては本来結婚か婚約、もしくは奉公をしてる歳だからね。しかも嫡子。で、あんだけ仲が良いならもうお互い妥協しちゃった方が楽だと思うんだけど。私も義理の母親が今から出来るならジャンヌが良いしね」
「……二人の、気持ちは……?」
「別にいちゃいちゃしろってわけでもないし。共同生活を送るなら、気心が知れてる方が良いでしょ。血筋を残すのだって、どうせサモンがそういう魔術作るわよ。家の格としてもお互い釣り合ってるし、政治的にもグランフォルド家とうちが仲良くしてればミッドカルド家とミッドゲイズ家を牽制できるしね」
 それに、とキャロルが寂しそうに零す。
「私じゃ魔力に溢れた子供は産めても、ソフィエステッド家の血を継ぐ子供は産めないから」
「……そんなに血筋って大事なの?」
「勇者の家がそれ言う?」
「俺の家が血筋を残すのは、それでしか残せない力があるからだけど。他の家はそうじゃないでしょう?」
「あるわよ」
 キャロルが言い切る。その目には、どこか悲しそうな光が宿っていて。
「その家の格。血ってのはね、その家がどれほど敬われるか、もっと言えばその権力を持つに正当であるかすら決めるのよ。だから他所の家は私を欲しがらない。所詮平民の血だからね。だから、結婚もせず研究ばっかりしてられるんだけど」
 実を言えば、と彼女がコーヒーを飲み干す。
「優れた騎士を輩出するために、グランフォルド家からは魔力源として欲しがられてるけど。産み袋として見られるなんてまっぴら御免よ。私は魔術師で研究者なんだから」
「好きな人もいるしね」
「バラしたら燃やすからね」
 ここでしらを切るという手段を選ばないあたり、彼女は相当正直な人間だ。先日のコーヒーを思い出す限り、そもそも嘘が苦手か雑なのかもしれない。昨夜気に入ったレモン水を頼んで他愛もない話をしていると、ジャンヌが入ってくる。
「お待たせしました。サモン殿への説教は済んだので、レナックス殿とあの馬鹿を呼びたいのですが」
「ああ、二人共稽古場よ」
「分かった」
 ジャンヌが稽古場へ歩いていく。遅れてとぼとぼと客間に入ってきた、げんなりとした顔のサモンに問う。
「……朝ご飯食べました?」
「これからだ」
 運ばれてきたエッグトーストを齧りながら、都会……貴族の家族というのは面倒なのだなと昨日も考えたことを繰り返した。

「さて、お集まりいただきありがとうございます。サモン殿、防音魔術を」
「へーい……」
 一瞬、ぴりりとした感覚が走った。もう行使されたのか、と驚く。
「……無言詠唱ですか?」
「ん? ああ。お前さんも出来るって聞いたが」
「早いなって……複雑な魔法、多分魔術もですけど、詠唱って長くなりますよね」
「これはそこまで複雑じゃないぞ。音は空気や物体の振動で伝播するから、部屋の空気を分離して、窒息しないようにたまに自動で換気するようにする機能と、物体の振動を止める機能があれば良いからな」
「……本気で言ってます?」
 レナックスが慄く。彼女は現在、魔法の代わりに魔術の練習をしているらしい。尤もまだ魔術の構成要素である「式」の反復練習の段階だそうだが。魔力そのものは一般的な魔術師見習いより多いため、意外と順調なのだそうだ。アレックスには分からないが、魔術を学び始めた彼女が驚くからにはきっと単純な魔術ではないのだろう。
「古式魔術に比べりゃ遥かに単純だぞ。単純な炎を出すのに式を百は使うからな、あれは」
「……それを差っ引いても、サモンの魔術は色々端折ったり独自の式を使ったりしてるから早いのよ」
「独自って言っても、ちゃんと論文で公開はしてるぞ」
「あんな手癖の強い式使えるもんですか。私が構成要素を分解して一般化したやつ書いてるんだから感謝しなさいよね」
「感謝してるよ。というか魔術開発については、キャロルの方が評価高いからな……」
「……はい、魔術父娘は置いておいて、昨日出来なかった話をしましょうか」
 呆れ返った顔のジャンヌが場を仕切る。
「一先ず、あの襲撃についてですが……グランフォルド家の魔術部隊が王城で不審な魔力を察知したのが一昨日の夜のことです。そのため対応が遅れ、共有が寸前になってしまったこと、改めてお詫び申し上げます」
「あれを共有って呼ぶなら会議はいらねえよ」
「サモン殿なら足りるという信頼のもとでしたが、買い被りでしたか?」
「……この野郎、言うようになったな……」
「兎も角。そういうわけで、未だどこが糸を引いているのか、どこまでの人間が関わっているのかも分からない状態です。捕らえた者達に尋問が出来れば良いのですが……」
「あと三日は無理だな。あいつらが知ってたのかは分からんが、遠隔の自爆魔術をかけられてる。凍らせた状態だから最後の起動が邪魔されてるだけで、溶かした瞬間ドカンだ。魔術の解析に一日、解除に半日、溶かすのに半日、その後尋問が出来る状態まで回復するのに一日だ。ただ、でかい家、もしくは軍が関わってるのは確かだな。ここまで解析に時間がかかる魔術を作れる奴を雇えるんだ。相応の金や人脈が要る」
「昨晩の話の限り、ミッドゲイズ家が関わっている可能性はあります。高いと言っても良い。動機があり、地位と資金、それに人脈があり、何より王城の防衛体制を知っている。王城の周囲には魔術で結界が張られていますが、ミッドゲイズ家ならそれを掻い潜って刺客を潜入させることも容易く可能です。何より、下見の遅さが予め情報を持っていなければおかしい」
「……と、いうわけで。ここまでがこれまでの話だな。後は俺の調査次第だ。幸い王からこの件に専念する許可を頂いたから、魔術の解析に集中出来る。次は、これからの話だな」
「はい。主に、軍、ひいてはグランフォルド家からの支援の話になります。……といっても、勇者殿の修練の場としてここより優れた場所が無いため、あくまで物資の話になりますが。元よりスターリアまでの旅に必要な物資や資金は軍が負担する予定でしたが、それに加えて装備や薬、装甲馬車の提供、東部中立帯の各地に点在する拠点の無償使用許可。そして、ミッドゲイズ家との交渉次第になりますが……我が家が保有している魔法具『テレポート』の貸出を予定しています」
「テレポート?」
「サモン殿」
「あー、中身はさっぱり解読不能なんだが、先代の勇者がカナエールから授かったという魔法具で、効果は『使用者がはっきりと覚えている場所に瞬時に移動する』だ。……恐らく」
「恐らく?」
「変な封印がかかってて、使用例が先代勇者一人だけなんだよ。一応うちとミッドゲイズ家に残されてる資料から考える限り、装甲馬車程度なら運べそうなんだけどな。で、勇者本人なら使えるかもしれないってことで貸し出すんだろ? 多分」
「はい。ただ、これにはミッドゲイズ家が難色を示すでしょうね。そもそも我が家が保管することにも、ずっと苦言を呈されて来ましたし」
「……確かに、先代勇者が使ってたならミッドゲイズ家が持たないんですか?」
「まず、勇者の末裔でも誰一人使用できなかった以上、どの家が管理していても同じだという点と……どうにか解析して軍事転用出来ないかということで、我が家で保管していました」
 軍事転用。聞いたことのない言葉だった。
「……移動というのは、軍事において大きな問題の一つです。疲労、疫病、物資……条件が重なれば、目的地に着く頃には戦力としての価値が半減していることすら有り得ます。それを克服すれば、戦で大きく優位に立てるのですよ」
「極論、戦争前に敵の城内へ行ったことのある奴がいれば、城壁内に兵士を送れちまうからな」
「……ですからアレックス殿。くれぐれも、管理にはご注意を」
 ジャンヌの瞳は、万一があればただでは済まないと語っていた。
「つうか、もう紛失しないか? あんな論争の火種」
「……魔術師として、解析しようとはならないんですね」
「出来ない方が良いだろ。あんなどう考えても戦争の道具になるもの。俺は魔術師であって戦争屋じゃねえ」
「それが技術の発展を阻害しても?」
「……はいはい、俺の我儘ですよ」
 サモンらしからぬ態度だ。何か話を変えたくて、咄嗟に出た話題が。
「……サモンさんって、口調がだいぶ貴族っぽく無いですよね」
「あ? ああ」
 他にもう少し無かっただろうか。後悔するアレックスには気付かない様子で、ジャンヌが溜息をついた。
「昔はこの人ももう少し上品な口調でしたが……」
「仕事を依頼してる盗賊から感染ってな。何か楽だし、不平不満を言いやすいしでこんな状態だ」
「でも俺等平民に比べれば上品ですよ。——とか——とか言わないし」
「ブライアン、あんた出て行きな」
「剣の錆になりたくなければ即刻退出しろ」
 レナックスとジャンヌを除くその場の全員が首を傾げる。アレックスも知らない言葉だ。そもそも発音が重なってよく聞き取れなかった。
「……王都の下品なスラングだよ。というか、段々だらけて来たし、他に話すことも無ければ解散しないか?」
「こちらとしてはそれで構いません」
「俺の方も話しとくことは無いな」
 じゃあ、とサモンが防音魔術を解き、グランフォルド家に戻るというジャンヌを全員で見送る。気付けば昼食時だった。たまには人と食うか、とサモンののんびりとした声が響く。それに続くように屋敷へ戻ろうとするブライアンを呼び止めた。
「ん?」
「ねえ、さっき言ってたのの意味何?」
「あー……レナックスさんに殺されそうだから……」
「姉貴の前じゃ絶対使わないから」
「えー……」
 全員が屋敷の中へ入ったのを見て、ブライアンが小声で囁く。
「……ヤってばっかの脳軽って意味」
 聞かなきゃ良かった、と後悔した。

|→