始まり:西の果ての勇者

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 東の森から太陽が顔を出す、その少し前に少年は目を覚ます。
「うー、ロレ、朝だよ……」
「おれまだねたい……」
 ぐずる弟を放って、少年は寝間着から普段着に着替えると、日課のために外の倉庫へ向かう。古びながらも手入れされたロングソードを取り出し、東の森の入り口へ。
「遅いよ、アレックス」
「姉貴が早いんだよ……まだ太陽昇ってな、いて」
「口答えしない」
「暴力政治反対……」
 欠伸を噛み殺しながら、姉が差し出した固いパンを食べる。そうして待つこと半刻。森の中から赤く尖った角を持つ、鹿のような魔物が飛び出した。
「構え――」
 その言葉が届くよりも早く、魔物がゆっくりと半分に分かれ、地に落ちる。
「……悪かったな。帰りがけに一匹取り逃すところだった」
「いーよ、流石親父! 帰って寝てな!」
「そうするよ。くれぐれも、姉弟喧嘩はしないように」
「はーい」
「うい……」
 家への帰途につく父親を見送り、姉と共に少年は森に入る。
 少年の一族は勇者。西の最果ての小さな漁村を守る任務に、代々就いている。
 東の地方では魔王との十年戦争が続いているというが、少年が愛する退屈ながらも平穏なこの村の暮らしは、今日も続く……筈だった。

 魔物が出ない。どれほど獣道に入り込んでも、魔物どころか大型の動物、果ては小鳥一羽も見当たりはしなかった。
「……妙だな……アレックス、おふくろに報告しておいで」
「分かった。姉貴は?」
「一応森を探索してる。三刻後に、いつもの大木で落ち合おう」
「うん」
 姉と別れ、獣道を通って普段目印にしている森一番の大木の前を通る。森の守り神として、軽く一礼のみをして通り過ぎようとした瞬間。
 空の光が、落ちてきた。
「……え?」
 巨大な光の雫が、空から巨木へと滴る。光を失った空は、星すら無い完全な漆黒となっていた。
 その光を全て集めたように光り輝く少女が、巨木の前に立っていた。赤い髪は炎のように揺れ、白い肌は夜闇の中で尚輝く。思わず跪いてしまうような、畏怖さえ感じさせる少女だった。
「……長く心苦しい、決断でした……」
 少女が口を開く。鈴のような美しさでありながら、地鳴りのような威圧感を持って。
「雷の勇者は生み出せず、大地の勇者は心を失い、氷の勇者は主ごと凍りついた。風の勇者はとうの過去、水の勇者は敗れ、夜の勇者は未だ葛藤の中。最早、再び星の勇者を生み出すしかありません」
 既に自分達が勇者なのではないか? そんな言葉は塞がった喉に遮られた。
「アレックス。きっと苦難と絶望に満ちた旅路になるでしょう。それでもどうか、貴方の願いと愛を忘れないで——」
 少女の光が少年を包み込む。思わず目を閉じても尚、瞼を貫く程光は強く。
「私は星霊カナエール。どうか貴方の旅路に、光があらんことを——」
 身体を激痛が貫き、少年は意識を手放した。

 声が。姉の声が、聞こえる。
「アレックス! どうしたんだ、こんなとこで!」
 瞼を開く。立ち上がろうとして、視界が大きく歪んだ。身体の中に何か途方もなく大きなものを感じ、胃液がこみ上げる。
「ごめ、ねえさ、はなれて」
 咳き込みと共にまだ固形物の残った胃の中身を吐き出して。姉――レナックスは飛び散ったものがブーツにかかったのも気に留めず、一通り吐き終えたアレックスをひょいと担いだ。
「いきなり夜になるから何かと思ったら……とにかく一度帰るよ。こんな天変地異の後じゃ、魔物もそうそう出てこない」
 飲んどけ、と水筒を渡され。俵持ちから背中に背負う姿勢に変えられたので、ちびちびと水を飲む。
「……姉さ、姉貴、俺達って勇者だよね」
「ああ」
「……じゃあ、勇者を『生み出す』必要なんて無いよね……?」
 レナックスが息を呑む。まさかあんた、と呟いて。
「…………今代は私だと思ってたのに……こんな、小さい奴に」
「俺はもう十七だよ。成人してる」
「うるさい。一年前まで子供だったんだ、あんたは」
 レナックスの手が、アレックスの足を強く掴む。痛いよ、と言おうとして。その手が震えていることに気付いた。
「……親父とおふくろに、伝えに行こう」
「うん」
 姉は何かを恐れている。アレックスは昔から、他人の機微に敏感だった。しかし、何を怖がってるの? とは尋ねられなかった。
「……アレックス。何があっても、この村は、あたし達マーゼルゲイズ家は、あんたの味方だから」
「……? うん」
 何を今更、と思いながらも、姉の声に宿った悲壮な決意に、ただ大人しく頷いた。
 村は、もうすぐそこだ。

 村に帰れば、父親と母親が森に入ろうとしているところだった。
「レナックス、アレックス! 無事だったか!」
「俺は無事じゃない……」
 安堵を見せた両親の表情に、アレックスの心も軽くなる。頭は未だに混乱状態だが、軽口を叩く余裕が生まれる。
「姉貴が変なんだよ、今代は私だったのにーとか」
「……アレックス、あのね」
 レナックスが重い口を開く前に、父親と母親の目が一斉に見開かれる。
「……家に帰ってから話を聞こうか」
「うん。あ、俺スープ飲みたい。朝ご飯吐いちゃってさ」
「あらあら。ええ、温めてあげましょうね」
 人は異常事態となると、かえって普段通りに振る舞うものなのか。アレックスの脳内は未だにどこか先程の邂逅が他人事で。彼女は何と名乗っていたか。確かカナエ——
「…………!」
 カナエールは。かつてアレックスの先祖に勇者としての命を授けた、女神の名だ。……つまり、自分は。
 逸話に名を連ねるような、そんな使命を受けた?
「……やっと分かった?」
 アレックスの変化を感じ取ったのか、レナックスが呟いた。

「あ、お兄ちゃんとお姉ちゃんお帰り!」
「おあえい」
「こら、ロレ、食べながら喋らない! ……どうするアレックス、一度横になる?」
「ううん、だいぶ楽になった」
 父親は先程の異変で騒ぎになった村を収めに出て行った。食卓で朝食を食べていた弟妹が帰ってきた一同に笑顔を向ける。
「リナ、スープは残ってる?」
「ロレが全部食べちゃった!」
「あら……ごめんねアレックス、今ミルクを温めて来るから」
 母親が足音もなく厨房へ歩いていく。彼女も、曲りなりにも勇者の妻だ。並大抵の強者ではない。家の中で気配を消すのは、息子としては止めて欲しいところだったが。
「ねえねお姉ちゃん、さっき一瞬夜になったの、解決したの?」
「……うん、もう起きないよ」
「さすがお姉ちゃん!」
 レナックスの背中からソファに降ろされる。母親が持ってきたホットミルクをゆっくりと飲む間に、母親と姉は食卓に着いた。異変を察知した弟妹も、大人しくアレックスの両脇に座る。
「……それで、何があったの、アレックス?」
 母親から促され。あの邂逅をどう表現するべきか悩みながら、口を開いた。
「……カナエール様を名乗る女の人が、空の雫の中から出てきて……勇者を生み出さなきゃいけなくなった、旅路に光があらんことを、って」
「……カナエール様って、女神様じゃん! お兄ちゃん、女神様に会ったの!?」
 いーないーな! と妹がアレックスを揺さぶる。
「それも不思議だったな。せいれい? って名乗ってた」
「……そう。本当に選ばれてしまったようね」
 母親の顔が曇る。レナックスが机を叩いた。
「私がいるのに何でアレックスに、しかも何させる気だよ! 魔王倒せとか言うのか!? まだ子供だっての!」
「女神様の思し召しだからね。それと貴女もまだ子供よ、レナ。……そうね、リナとロレにも早いけど、話しておきましょうか」
 母親が二階に上がり、一冊の古びた本を持って来る。この家の家系図だ。
「……かつて私達の先祖アレックスは、カナエール様から祝福を受け、災厄を打ち払った。ここまでは皆知ってるわね?」
「にいにと同じ名前の人」
「奇しくもね。そして、勇者の始祖となった彼の家は三つに別れ、一つは王都に、一つは星都に、そして一つはここマーゼル村に定住した」
 家系図が三つに分かれる。アレックスの先祖は長兄、つまりこの家は直系だ。何故西の果ての田舎に居を構えたのかは伝わっていないが。
「つまり、あの人やあなた達は勇者の子孫であるから勇者を名乗っている。けれどね、本物の勇者ではないの」
「……ええ!?」
 妹が驚愕の声を上げる。アレックスも初耳だった。生まれた時から、自分は勇者であると言われて育ってきたのだ。……どうやら自分は「本物の」勇者になったようだが。
「勇者とは、カナエール様から祝福を頂いたただ一人のことを指すのよ。その力のごくごく一部は子孫に受け継がれているけれど」
「……つまり、アレックスは勇者だけど、私や親父、リナにロレは勇者じゃないってわけ」
 レナックスが不満げに繋げる。……彼女は、今代は自分ではないのかと散々言っていた。
「……姉貴が選ばれる予定だったの?」
「まあ、直系のうちから出るなら年齢的に私じゃない? ってね。だから王都まで修行に出て帰ってきたんだよ」
「初耳……」
「言わなかったからね。私が選ばれたら、また修行とか適当言って出て行くつもりだったよ」
 どこか覚悟を感じさせる声に、何も返せずマグカップを傾ける。
「……それで、俺は何をすれば良いの?」
「本来ならカナエール様から何か神託がある筈なのだけれど……王都か星都に神託が下っているかもしれないから、使いを送ってみましょうか」
 そう言って手紙を二通書き始める母親を、子供達は黙って眺めていた。伝書鳩に手紙を託すために、手紙を書き終え封をした彼女は家を出る。レナックスは食器を片付け、弟妹達は別れを予感したのか、ソファに座ったままのアレックスにぴとりと貼り付いていた。その頭を撫でながら、どこか現実感の無いまま、アレックスは外を行き交う人々を窓越しに眺めていた。

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