黄昏をあなたと
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魔王討伐に成功し、凱旋した次の日。歓喜に包まれた帝都は、朝から祭りのような様相を呈していた。戸惑う一行は兵士達に案内されるまま帝国軍の本部へ連れられ、なし崩しに国を上げた祭典へ参加させられることとなった。真昼から酒や食料を大盤振る舞いしての乱痴気騒ぎだった。正直寝てたいよね、と肩を竦めたブルースに、今回ばかりはあのジルバでさえ同意していたのだが。
口をつける気にならない葡萄酒を片手に、ブロントは群衆から抜け出していた。兵士達の相手は、逃げ出し損ねたブルースやリンと、真面目なジルバやテミがしてくれるだろう。族長達は群衆から離れた場所で、軍の幹部と話している。余程真面目な話と見える。無礼講と宣言された宴の間でも、近づこうとする者はいない。ティンクとクロウは上手く隠れたのか、そもそも見当たらなかった。
「ねえブロント、退屈じゃない?」
林檎酒を片手に、マゼンダが群衆を抜けてくる。
「そりゃあね。正直俺もブルースと同意見だったよ」
「ふふ、あたしも一日中ベッドにいたかったわ」
グラスを煽りながら、マゼンダは少し赤らんだ顔をブロントに近づけた。
「あたし、一回言ってみたかったことがあるんだけど」
「何だ?」
翠緑の目を悪戯っ子のように細め、彼女は耳元で囁いた。
「こんなパーティー、二人で抜け出さない?」
「……喜んで」
彼女が行きたがったのは西側の城壁上にある通路だった。浮かれた様子の兵士を誤魔化し、傾いていく太陽を横目に宴の会場を抜け出す。
「走れば、夕焼けに間に合うかもな」
「あら、走る必要なんか無いわ」
屋外に出ると同時に両足がふわりと浮いた。魔王と撃ち合うほどの魔法使いだ。人間二人で空を飛ぶなど朝飯前だった。
「行くわよ! 実際に飛ぶのは初めてだけど!」
……魔力の問題のみから見れば、朝飯前らしかった。
「今初めてって聞こえたけど? 安全第一で」
最後まで言い切る前に、身体が前へと加速する。風を切る音があっという間に聴覚を支配した。
「あっはは! 楽しいわねこれ!」
彼女の言葉の全ては聞き取れないが、楽しんでいることは十二分に伝わってくる。見開いた両目が輝いていた。
「何かにぶつからないよな? そんなので死んだら洒落にならないぞ!」
張り上げた声が彼女に届いているのかは分からない。届いたとしても、彼女は速度を落とさないだろう。面白がって更に加速するかもしれない。マゼンダはそういう少女だ。自由で、楽しそうなことに目がなくて、自分が笑うために常に全力で。出会った頃から変わらなかった。太陽のような、強い魂の少女だった。
二人の下では、家々の群れが流れ星のように背後へと飛び去っていく。着地というよりも着弾と呼んだ方が適切な程の勢いで、そのまま二人は城壁に降り立った。
「余裕で間に合ったわね! 流石あたしの魔法!」
彼女は軽やかな足取りで通路の端に近付くと、そのまま胸壁に背中を預けた。その隣に立ち、橙に染まっていく地平線を眺める。ちらりと隣に目をやれば、彼女は夕焼けに背を向けたまま手慰みのように炎で遊んでいた。
「見ないのか」
「んー、終わっていくものってあんまり好きじゃないのよね」
彼女の手の中で、赤色が不安定に揺らめく。
「なんか、前までのこの世界みたいで」
ならば何故来たのか、とは尋ねなかった。ブロントがここに来た理由も、夕焼けを見るためではない。
そうは言っても手持ち無沙汰には違いなく。マゼンダに遊ばれてからすっかり癖になってしまった三つ編みを指に絡ませながら、色が変わった雲を数えていく。三十七を数えたところで口を開いた。
「この後どうなるんだろうな、俺達」
「さあね。ジルバとあんた以外は、そもそも軍にも残らないんでしょ?」
頷き、帰路の間に仲間達から聞いたそれぞれの行く先を思い出した。
ジルバはブロントと共に軍に残り、ブルースとティンクはのんびりと各地を回るらしい。リンも、散り散りになった村の者達を探すために同行するそうだ。テミはクロウの手を引いて、ルファとミドリは相変わらず睨み合いながら、それぞれの故郷へと帰っていくのだろう。
そして、マゼンダも。
「……旅に出るんだっけ」
たった一人で、寂しくないのか。そう言いかけて口をつぐむ。マゼンダの使命は、あくまで魔王を斃すこと。軍の威信などに関わることは含まれていない。それをここまで伸ばしてくれたのは、彼女の好意に他ならなかった。
「そうね。何だかんだこの旅も楽しかったし。今度は平和な世界をのんびり回ってみるわ」
「そうか」
彼女を引き止める言葉が浮かんでは消えていく。
「俺も、何年か軍属を続けたら辞めようかな。帝都に思い入れがあるわけでもないし、もう戦う理由も無い」
「いいんじゃない? 案外、剣以外も性に合うかもしれないわよ」
「だといいな」
他愛も無い台詞ばかりが放たれる。
「旅に出るのもいいかもな。君やブルース達みたいに」
「これからならゆっくり回れるわよ。魔物も魔王もいなくなったことだし、武器だって最低限しかいらないかも」
一緒に行かないか、という一言だけが、喉を通らない。
「何にせよ、ばらばらになるのね、あたし達。手紙くらいは寄越してよ?」
「君、一箇所に定住しそうにないだろう」
「それもそうね」
顔を見合わせる。ふ、と笑いを先に零したのはマゼンダだった。つられて口が緩む。夕日に向き直って、これなら言えるだろうかと口を開く。
「……寂しくなる」
吐き出されたのはそれだけだった。
「……ええ。こんなに賑やかだったの、生まれて初めてだった」
夕焼けが彼女の白い肌を赤く染める。
「それにね! 魔力をこんなことに……空を飛ぶなんて楽しいだけのことに使うなんて、初めて! あたしが、皆が楽しいから。それだけのための魔法が、ずっとずっと夢だったの!」
「マゼンダの?」
「ええ! 魔王を倒す使命を負わされてから、ずっとずっと夢だったの。幸せな魔法を、いつか使えるようになるのが!」
彼女は踊るような足取りでくるりと回った。深緑のスカートを飾るように、黄昏色の炎が優雅に舞う。
「だから、旅の間に沢山魔法を作る! わくわくするような見たこと無い魔法を! それで、皆を笑わせてまわって、幸せにするの!」
太陽が沈んでいく。翳っていく世界で、宝石のような両目が一層輝いた。
「だからね――今日は、最初の一歩」
最後の光が瞬いた。代わりに、マゼンダの両手に光の球が浮かぶ。見てて、と微笑むと、彼女は両手を力いっぱい振り上げた。投げ上げられた二つの光球は螺旋を描き、互いに近づきながら高く高く昇っていく。触れ合った瞬間、二つの光は一つの粒になり。
空に、光の花が咲いた。
薔薇色をした何百もの光の粒が、空に広がった。紺色のキャンバスを彩った花は、さらに小さな欠片となってゆっくりと溶けていく。褒めようとマゼンダを見たブロントの視界に、彼女の周囲に浮かぶ無数の光球が映る。彼女は悪戯っ子のようににんまりと笑い、指揮者のように腕を振った。光は連れ立って飛び上がり、いくつもの花を咲かせていく。
「……綺麗だ」
ぽろりと溢れたそれを魔法へのものだと解釈したのだろう。
「こんなものじゃないわよ!」
自信たっぷりに口角を上げて、色とりどりの光を舞い上がらせる。指揮者のように、あるいは踊り子のように。
「綺麗だよ、本当に」
君が、とは言えないまま。紺青に染まった空の下で、魔法の光が二人を照らしていた。
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