千秋楽はやってこない
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××年の某日、ひっそりと魔王討伐隊は王都へ帰還した。使命を果たした証である血濡れた冠と、冷たくなった俺の親友と共に。
凱旋式が行われたのは、それからおよそ十日程のことだった。国威発揚の場とエルフ、アマゾネスとの同盟調印式と新聖女の任命式を兼ねた祭りは三日三晩に渡り、緊急時のための物資倉庫が空になりかけたという。祀り上げる気持ちはよく分かるけれども、親友を亡くしたばかりの俺には全てが別世界のようだった。勇者様、と差し出された勝利の美酒とやらは厭に苦く、胃の中には未だ消化しきれないあいつの死が居座り続けていた。
その後、軍に残った俺は武器を取ることこそ無かったが、代わりにかつての経験と知識で兵を導き、魔王軍の残党を殲滅していった。その合間に魔物の侵攻を受けた各地の村や街を周り、勇者の加護とやらを振り撒かせることに上層部は躍起になった。勇者という存在は、軍と王の求心力を高めるのに最適だったのだろう。俺は笑うのが随分上手くなった。
俺を狙った事件が多発したのもこの時期だった。外出した折に狙撃されること十数回、食事に毒を盛られること幾十回。それらは全て俺が察知したため、未遂に終わっている。蒼空を抱く瞳は未来すら見透すのだと民衆は益々勇者を崇め、やがて麗しき勇者ブロント、と銘打たれた肖像画が世に出回った。俺は鏡で朽葉色をした自分の目を見る度、得体の知れない違和感で吐きそうになった。
軍と王は、徐々にその存在を恐れるようになった。
「貴方、近いうちに死ぬわよ」
「死ねないさ、マゼンダ。勇者はまだ必要らしいから」
最初の暗殺未遂から数日のことだった。軋む髪を彼女が梳く。香油で誤魔化し続けた癖毛がはらはらと床に落ちていく。
「好きだったの、ブロントの髪。黄金の糸みたいに輝いて、触ると絹みたいにさらさらしてるの」
「悪かったな、荒れ放題で」
それから季節がたった一つ変わる間に、どれだけの害意が俺の首を掠めただろうか。親友の命日に墓参りに来た俺に、同じく墓参りに来た彼女は呆れたような顔を見せた。
「貴方、本当に死ななかったのね」
「皆、俺の得意なことでしか来ないからさ。……後ろ」
寂れた墓地の中で、妙に新しい墓石を指す。
「あの新しいやつ吹っ飛ばして。俺の責任で」
その日、勇者の暗殺事件がまた一つ、未遂で終わった。どこからか騒ぎを聞いて駆けつけたジルバが、こんな形で墓参りに来る気は無かったのに、とぼやいていた。可哀想に。親友を悼むことすらまともにさせてもらえない俺も、まあ、可哀想に。
「笑ってる場合か。軍に報告して、お前の身辺の安全確保を早急に――」
「いやあ。だってあれ、こないだ俺の部下だった奴だもん。つまり軍が一枚噛んでる。下手すりゃ王様かもな」
乾いた笑いが止まらない俺を、同じくらい乾いた目をしたマゼンダが引っ叩いた。
「……そんな笑い方してなかったでしょ」
「はは、どっちが?」
「どっちも」
そうか。それなら止めなきゃな。吸って、止めて、はい完了。そう簡単にいくならこの数年苦労はしていない。だって可笑しいんだから。手前の都合で使命を与えて祀り上げて役を押し付けたくせに、手に負えなくなるや否や捨てようとするなんて、矛盾が可笑しくてたまらない。呼吸困難で死ねるかな、死ねたらいいな、やっぱり嫌だ、ブロントの死がそんな情けない形で伝えられるのは。それでも笑いは止まらなくて、嗚呼、そうか、俺は嬉しいんだ。
「ブロントがあそこで死んでてよかった……」
漏れた言葉のおぞましさに、二人の顔が違う形に歪む。詰め寄ったジルバの鎧に、土の色をした俺の目が映り込んで、全く知らない形をしている。染料特有の橙が混ざった山吹色の髪も一緒に。昔マゼンダが言っていた通り、確かにブロントの髪じゃないな、これは。剣だって振れないし、綺麗な笑顔はしてないし、どうやったってブロントにはなれない。
まあ、勇者にはなれたんだけれど。
魔王とブロントは相打ちになって、その事実を受け入れきれないままに俺達は帰ってきた。世界を救った事実は、麻酔にするには不十分で、それでもブロントの命と引換えにするには十分すぎたから、俺達は自分を無理矢理に納得させて、折り合いをつけたつもりだった。
だけども魔王討伐を命じた奴らが、ブロントを死に走らせた奴らが、魔王以上に魔王みたいな奴らが欲していたのは世界平和でも何でも無く、使命を帯びて世界を見事救った『という実績をもった』勇者という偶像だった。
『親友を失いながらも遂に使命を全うした偉大なる勇者』、死んだのがブロントではなく俺だったら、そんな、実に理想的で劇的な偶像が誕生していたのにと、折角訪れた平和を微塵も喜びもせずに奴らは言った。
自分達の利益しか見ていない濁った目の屑共に付き合ってられるかと、仲間達は軍からも国からも離れていった。軍の番犬だの野良犬だのとクロウと罵り合っていたジルバですらその軍を見限ったのだから、どれだけ俺達が奴らに失望したかなんて言うに及ばずだろう。
それでも残って勇者のメッキを纏い続けるだけ、俺も十分屑なんだけれど、でもやっぱり勇者になるのは俺でよかった。ブロントが死んだのがあそこでよかった。屑共の欲望と悪意に晒されるのが、お人好しの親友じゃなくて、同じ屑な自分でよかった。綺麗な世界しか知らないままで。その後の名誉だって俺が守り続けるから、死んだ後だって綺麗なままで。よかったと。本当によかったと。そう思うんだけれど。
ブロントはクライマックスで舞台から降りて、じゃあ俺はいつこの役から降りられるんだろう。
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