最後の街、最初の勇者:1

2023-04-06


「人が魔物になれるもんなんだな」

 人類最後の街、ルウリエ。夕日に照らされ赤く染まった城壁の上で、つい先程魔王との激戦を制した戦士がぽつりと口にした。無造作に石材に腰掛け、無骨な手には何枚もの石版を握って。手段こそ歪んでしまったが、人間のため、そして終わりゆく世界を救うためにその身を投げだした賢者の、ある意味での成れの果て。

「……なりたいわけ?」
「まさか。奴らの同族になるなんざ、考えただけで虫酸が走る」

 咎めるように金髪の少女が戦士を睨みつければ、彼は大仰に肩を竦めた。

「ただ、不死になれるってのはかなり良いな。怪我の心配ゼロで、楽園の門に潜り放題、魔物だって殺し放題だ。消えちまう前に、是非ともご教授願いたかったんだが」
「それ、イテアの前で言ってみなさい。毒殺してあげる」

 何のためにあの子があの毒薬を作ったと思ってるの。少女が装備した爪の先端が青年の首に浅く食い込む。はい、と素っ気なく青年が答えると、あんたのその答え方嫌い、と一瞬力が強くなる。

「嫌いって言われてもな……最初はずっとこんなんだっただろ」
「そうね。最初っから人間味の薄い奴だったわ。口を開けばはいかいいえ、そもそもまともに話しやしない」

 大分ましになってきたと思ったのに、と溜息混じりの言葉に悲嘆の色は無い。少女は青年の首を解放すると、その隣に静かに腰掛けた。
 夕日がゆっくりと沈んでいく。今日は夕焼けが特に赤い日のようで、それを受けた青年の顔は普段の言動も相まって返り血を浴びたようだった。

「……この先、どうするつもり」
「とりあえず、こいつらを使うとこまで行くさ。その後のこた、その後考えりゃ良い」

 ちゃりちゃり、と高い音と共に彼は懐から鍵を三本取り出した。魔王と成り果てた賢者と戦い、その意志も失った魔王の抜け殻を倒して手に入れた、希望に続くのかも分からない鍵。一本はあの地下迷宮から地上の何処かへと脱出するためのもの。残りの二本は、さらなる闇へと潜るためのもの。

「後は……そうだな。『勇者』にでもなろうか? ほら、俺モンクも魔法剣士も結構鍛えてるし」
「……あんたが勇者じゃ、この世界もいよいよ末期ね」

 転職の神殿に名前だけは刻まれている、最高位の職業。今までは必要とされず、思い出されることも無かったその存在は、確かに今必要なのかもしれない。だとしてもこんな無愛想な戦闘狂がなるなんて、と少女が口を尖らせると、青年は頭を掻きながら、実際なれそうなんだから良いだろ、とあくまで『勇者』を職業の、もしくは戦う手段の一つとしてしか考えていない軽い口調で答えた。

「……あと、無愛想はお互い様だろ。宿屋なんて接客業の筆頭だろうが。イテアを見習えよ」
「こんな極限状況じゃ誰も愛想なんて気にしないわよ。皆、その日生きるので精一杯だってのに」

 そして、今日を生き延びたって、明日も明後日も生き地獄が続くだけだと分かっているのに。

「……腕に覚えがある人間は皆死んで、残ったのはあたし達だけ。門番達はもう守りに徹するだけで限界。戦馬鹿が勇者になったところで、もう悪化しようがないかもね」
「んじゃギルマスに言って、防衛クエストを俺にくれよ。この街を囲んでる奴ら、全部始末して来てやる。勇者にはうってつけの仕事じゃないか」
「生憎、今は迷宮の調査が先よ。こっちの方がまだ希望があるわ」

 希望。何気なく口にしたその言葉に、少女――シガナは目を見開いた。隣に座る青年の、赤に染まった横顔を見上げる。元々は精悍な好青年だったのだろうが、その目は憎悪で濁りきり、見る者全てが気圧される相貌に成り果てていた。真紅の髪は、本人に言わせれば地毛らしいが、返り血で染まったと言っても誰もが信じるだろう。魔王を倒した救世主には到底似つかわしくない姿。

「……しょうがねえな」

 ギルマスにもあんたらにも世話になってるしな。そう呟くと、彼は伸びを一つして立ち上がった。

「『地上の鍵』の調査は明日しようぜ。第一層を探索してた時に、一箇所開けない鍵穴があったんだ。名前からしても、多分そこで合ってんだろ」
「分かったわ。……そんなこと覚えてたのは意外だけど」
「怪しい場所を覚えとくのは冒険者の常識だろ。後はそうだな。俺とあんたとイテアで三人だから、あと一人を酒場で見つけるか。どの職業が良いか……いっそゲトの奴でも誘ってみるか?」
「ゲト?」
「門番の一人だよ。今は騎士をやってんだ。結構良い奴だよ。何度か強化した装備を届けてるくらいの縁なんだが……あ、折角だから拾った槍も譲るか。俺は剣のほうが好きだし。いや、羅刹の槍は扱いに困るか……? 退魔の槍の方なら問題ねえか。そこはあいつの戦闘スタイルも訊いてみるとして……」

 どうせならあいつの戦い方も見てみてえな、と彼の顔が僅かに綻ぶ。

「……ちょっと待って。あたし達はあんたと一緒に行く前提?」
「え、来てくれるんじゃねえの?」
「はあ……こんな状況だから協力するけど、気安くするなって言ったの、もう忘れたのかしら」
「覚えてねえな」

 絶対嘘でしょ、と青年を小突くと、彼は大袈裟に、うわ痛え、と疲れた場所を抱えてみせた。そのままうずくまってしまう。……どうやら本当に痛かったらしい。

「……そこ、魔王の両手に派手にぶん殴られたとこ……」
「そ、それは悪かったわね……イテアに治して貰わなかったわけ?」
「だって戦闘終わったし、ソラミルで脱出するだけだったしよ……」

 どうせ寝れば治るし、わざわざ手間かけるのも悪いし……と言い訳を並べる彼に肩を貸す。シガナも前衛ではあるのだが、先の戦闘において壁となって仲間を守る役目はこの青年が一人で背負っていた。切り裂かれようと殴られ骨を折られようと、絶対に退かず立ち塞がり続けた背中を思い出す。

「……『勇者』がいるなら、あんな感じに見えるのかしら」
「あ? どんな感じだって」
「別に。ちょっと戦いの間幻が見えてただけよ」
「マジか!? リモヤ使ってもらえなかったのか?」
「戦闘に支障はなかったから良いの。それより、ウチに帰って休むわよ」
「へいへい……きっちり代金は取られるんだろうな……」
「当たり前でしょ」

 こんな風に誰かと軽口を叩いたのはいつぶりだろうか。記憶を辿ってみて、少なくとも『冥界の門』が開いてからは無い、という結論に達した。

「……あんたとパーティを組んであげてもいいわ。これからも」
「随分脈絡ねえな? ありがたいけどさ」

 んじゃ、これからもよろしくな。彼から見えるかは分からなかったが、頷いて返す。半分沈んだ夕日に照らされて長く伸びた二人の影は、小柄なシガナが重装備の青年に方を貸しているのもあって、少々不格好な一人の人間の影に見えた。

 もしかすると、希望というのは案外こんな歪な形をしているのかもしれない。そんな柄にもない考えがシガナの頭に浮かんだのは、夕暮れ時という感傷的な時間のせいだろうか。