転嫁

2022-12-03

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 補給に立ち寄ったそれなりに大きい街の、夕暮れ時だった。一通り用事を終え、特段用事も無く、大通りをぼんやりと歩いている時のこと。先日仲間になった格闘家の少女――リンが道の真ん中で佇んでいるのを見つけた。今日の夕空は彼女の服と同じ色で、目を逸らしたらそのまま溶けていってしまいそうだった。

「……あ、ブルース」

 俺に気付いたらしい。奇遇やな、と彼女が手を振る。俺は足を止めた。彼女はこちらへ軽快に走り寄る。その手に何も無いのを見るに、ここにいた理由は俺と似たりよったりだろう。行くあてもない散歩を二人で再開する。

「買い物?」
「特に無ぇな。そっちは」
「ウチもや。マゼンダ達に引っ張って来られたんやけど……見とらん?」
「見てないな」

 ……こんな感じで、いつも通りの会話をしていたはずなんだ。


「あ、あっちの店のも美味しそうやん! あんま並んどらんし、あっち行かん?」
「え、何やあれ、今しか食べれんって……うぅ、ブルース、どっちがええと思う?」

 いっそ両方行くのもええかな、とリンの目線が行ったり来たり。日はどっぷりと暮れきっていて、道端の灯りを背負った彼女は、俺の知っているリンじゃないみたいだ。戦闘中の鬼神のような少女とも、村を思い出して慟哭する少女とも、いつもの悲しげに笑う少女とも、無邪気に食べ物で悩む目の前の少女が繋がらない。

「俺は別に……リンの好きにしたらどうだ」

 そう俺が言うやいなや、彼女は風のように走り去り、黒や茶色で小さな箱のような未知の物体を、小袋いっぱいに買って戻ってきた。もしかすると、既に両方買おうと決めていたのかもしれない。道の中心から外れた場所まで移動し、袋を開く。

「ちょこれーと、やって。ブルース知っとる?」
「いや」

 「ちょこれーと」の匂いは、菓子特有の鼻につく甘さと、嗅ぎ慣れない何かが混ざって、俺には奇妙なものに感じられる。リンも同じらしく、すんすんと匂いを嗅いだ後、ぽいと一つ、黒い方を口に放り込んだ。

「う、苦……」

 たちまちくしゃりと顔が歪む。それを見て、思わず吹き出してしまった。

「な、何笑っとんねん! ブルースも食べてみぃ!」

 彼女が真っ赤になって、ほれ! と黒い物体を突き出す。食べてみると、確かに苦い。しかし、生憎俺は甘ったるいものがそこまで好きではないので、むしろ丁度いいくらいだ。これがほろ苦いってやつかな、と考えながらちょこれーとを舌で転がしていると、彼女は諦めたように、もうええよ、と呟いて袋を俺によこした。

「食わねぇの。結構美味いけど」
「ウチには合わん……うぅ、何か負けた気しよる」

 しょんぼりとした顔。今の彼女は、随分と表情が変わる。次はどんな顔をするんだろうか。ちょこれーとを口に放り込みながら観察する。

「……何や、ウチの顔に何かついとる?」
「何も付いてねぇけど、見てて面白い」

 何やて! と肩を小突かれた。彼女の力なら俺を家数件分の距離は吹き飛ばせるので、多分彼女も本気では怒っていない。口を尖らせて、ブルースの仏頂面と比べたらそりゃおもろいやろ、等々と文句を垂れる。それに気を取られていると突然口の中に甘さが広がり、仏頂面は早速崩れた。
 どうやら苦いのは黒い方だけで、茶色い方は甘い。果物の味も微かにした気がするが、中にジュースでも入っていたんだろうか。注意深く吟味すると、黒い方からも果物の風味がする。

「リン、手」

 首を傾げつつ差し出された手に茶色を一つ。彼女は露骨に嫌そうな顔をしたが、茶色は甘いから、と言うと――黒いのを沢山頬張っていたので正確に発音されていなかった気もしたが――恐る恐る端をかじった。次いで三分の一くらいが彼女の口に消え、残りもそのまま消えた。
 甘、と小さな声がする。お気に召したらしく、彼女の手が袋に伸び、茶色をいくつか掴んでいく。一方俺も黒を殆ど食い尽くしてしまったので、茶色を代わりに口へ。会話は無く、ひたすらちょこれーとを味わう。
 当然ちょこれーとは減っていき、すっからかんになった袋に俺と彼女が同時に手を入れた。手と手がぶつかる。あれ、と口に出したのは一体どちらか。自然と顔を見合わせ、沈黙が流れた。

「……ふ、ふ」

 堪えきれない声がリンの喉から漏れ、やがてあっははは! と軽快な笑い声を上げた。

「何や、涼しい顔して仰山食べとるやん! ウチ、まだ五、六個しか食べとらんのにもう無くなっとるし、ブルースいくつ食べたんや……ふふっ、駄目や、ほんまおもろい」

 先程怒り出したリンの気持ちが分かる気がする。そんなに笑うことでもないだろ、と言いながら空袋を畳むと、また彼女は笑い出した。毒茸でも食べたかと訊くと、腹を抱えて抑えきれないとでもいうように。毒茸を食べた人間が笑っているように見えるのは、顔がひきつるからだったか。ある意味今の彼女に近い……か?

「他のも、買いに行かん?」

 ぐい、と彼女が俺の腕を引く。つんのめって彼女の顔が近付く。笑い過ぎて酸欠になりかけているのか、赤みがさした頬。空色の大きな瞳も、いつも引き結ばれている唇も、全部が幸せそうに緩みきっていて、見たことない顔で、至近距離で、本当によく見えて。

「……う、わ」

 心臓が突然全力を出した。鼓動が腕を通して彼女に伝わったんじゃないかと思った。腕を引かれたまま歩き出す。灯りを背負った彼女は、俺の知っているリンじゃないみたいで、輝いて見えて。それでも、俺を掴む手の力強さは、間違い無く鬼神みたいな戦友のそれで。でも、目の前の、彼女は、こんなに無邪気で、幸せそうな、年相応の、少女で? あれ、俺、何考えてる?
 混乱した頭に同調して、世界もぐるぐる回り始めた。周囲の喧騒も、出店に吊り下がったランプの光彩も、食べ物の匂いも、混ざりに混ざって何が何だか分からない。背負った弓と矢筒が時折他人にぶつかって、からからと他人事みたいに鳴る。身体が異常に熱い。拍動が倍速で興奮を刻む。あれ、と彼女が心配そうな声を出した。

「ブルース、腕熱いで? どうしたん?」

 大きな瞳が俺を覗き込む。映り込んだ俺は、口をぽかんと開いた間抜けな顔をしている。 何でもない、という俺の声は、調子が外れて他人のものみたいだ。そうは見えんけど、と彼女が不満そうな顔をする。

「何やろ急に……休んだ方がええんちゃう?」

 きょろきょろと辺りを見回した彼女は、道端に空いたベンチを見つけると、ほらあそこ! と言って俺を引き摺って行く。肩を押して俺を座らせると、さっきまで元気そうやったのになぁ、と呟きながら隣に腰掛けた。体温が更に上がった気がする。気がするだけだと思いたい。

「やっぱ赤いなぁ。水か何か、見つけて来るわ」

 そう言うなり、彼女は出店の群れへと消えた。一人頭を抱える。

 何で、どうして、こうなった!


 偶々、今日はこの街の祭りだったらしい。高名な魔導士を呼んで花火を打ち上げ、大通りには出店が並ぶ、と。散歩の途中に入り込んだカフェでそれを聞いた俺達は、乗りかかった船ということで、祭りの時間まで待つことにした。夜が近付くにつれ組みあがっていく出店達にリンの興奮も盛り上がっていき、その結果があの状態。それが事の理由だ。盛り上がってたのはリンだけだ。俺はいつも通りだった。いつも通りだっただろ!?
 リンの笑顔が頭の中でぐるぐる回る。出店を見ている時。菓子を食べている時。全部食べ切ってしまった時。後光まで差して見える。やばい。かわいい。おかしい。とりあえず語彙力と思考力の低下が甚だしい、というか一つ変なのが混じってなかったか?
 うわああ、と意味を成さない文字列を発しながら足をばたつかせる。こういう時の悪い癖で、そんなことよりリンかわいかったなって違う! それは否定しないけど今はそうじゃない!

「ブルース、ジュース買って来うわ顔赤っ! もう真っ赤やないか!」

 まず飲め! と橙色のジュースがガラスのコップに入って手渡された。中身は普通のオレンジジュースで、火照った身体に丁度良い。リンの色だなとか一瞬考えたのは気にしないことにする。

「で、体調はどんな感じや?」
「熱いのと、何かぐるぐるする……」
「意識もはっきりしとらんな……しゃーないわ。宿に戻ろか」

 ほれ、と彼女が背中を向けてしゃがむ。

「……?」
「背負ってくわ。歩くのもきついやろ」

 特に抵抗もせず、素直に頼ることにする。……待て、これかなり距離が近くないか? というか普段こんなに近付くことって無かったよな、うん無かった。リンが泣いてた時くらいだ。というか俺って楽々背負えるような体格してるんだな。もやもやする。

「……ブルース、大丈夫か?」
「だいじょうぶだ……」

 全然大丈夫じゃない。心臓がばくばくいってるのが確実にバレる気がする、いや絶対バレるだろ! やっぱり今からでも降ろしてもらって、いやまともに歩ける気がしない。それにこの状態が、暖かくてふわふわして気持ち良いし、いや待て本当に何考えてるんだよ俺、普段の俺はもう少し冷静だっただろ!

「……あ」

 リンが声を上げた。何だろう。まさか今までの思考が伝わった? そんな馬鹿な。

「ブルース、ちょっとだけ待っとってな」

 彼女は手近なベンチに俺を降ろすと、再び出店の方へ走っていった。助かったような、少し残念なような。
 待っていた時間はほんの僅かだった。彼女が茶色い何かを持って走って来る。何か。グローブだろうか。確かに、彼女も素手で敵を殴るのは辛いだろう。

「……ん」

 彼女が俺に向けてグローブを差し出す。……これは、背負っている間、代わりに持っていろということだろうか。

「グローブ、擦り切れとったやろ」
「……え、俺の?」

 意表を突かれて訊き返す。照れ隠しなのか、彼女は俺から目を逸らしながら、日頃の感謝や、黙って受け取らんか! と腹から発声した。礼を言うと、彼女は少し押し黙った後、真っすぐ俺を見て少しはにかみながら笑った。
 比喩でも何でもない。彼女が、ステンドグラスの精霊みたいに輝いて見えた。熱で少しぼやけた世界で、出店の光を受けて、夜空を背景にして。言葉をいくら尽くしても足りない、本当に綺麗な笑顔で、彼女はそこに立っていた。

 そこからの記憶はあまり無い。


 後で聞いたところ、どうやらあのちょこれーとにはかなり強い果実酒が入っていたようで、それを大量に食べたために酔っ払ったのではないか、ということだった。よっぽど酒に弱いんだな、とジルバが憐れむような目をしていた。
 だからきっと、あの夜のことは、酒に酔って生み出された幻影みたいなものなんだろう。そうだ。そうに違いない。

そう、思いたい。


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