笑ってほしい

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 ◯▢日
 討伐隊として旅に出てから、初めて大規模な戦闘が発生した日でした。戦闘そのものは、全員完治できる程度の怪我で済み、魔物もこの辺りに偶然巣を張っていただけのもののため、特筆すべきことはありませんでした。その後のことです。

 私が泣き虫なことは、ちゃんと分かっているつもりでした。周りの大人達にほんの少し叱責されただとか、紙の端で指を切ってしまっただとか、小さい頃はそんな些細なことで泣き出してしまう子供でしたから。成長するにつれて耐えられる範囲は大きくなり、泣き虫はすっかり克服したと思っていたのですが。

「……ねえテミ、心配してくれるのはありがたいんだけど、もうあたしの怪我治ってるからね?」
「わかってますぅ……」

 理性ではそう分かっていても、脳裏にちらつくのは先程までの凄惨な戦場で。嗚咽を止められない私の頭を、マゼンダが優しい手つきで撫でてくれていました。

「すぐっ、すぐなきやむので……」
「別にテミは痛くねえだろ? 怪我してないんだし」
「ブルース、あんた共感って言葉知ってる?」
「すみません……」
「何でそこでテミが謝るのさ。優しいのは良いことだよ」

 ね、と言い切ってくれるブロントの心遣いが痛くて、また少し泣きました。

 その夜の見張りは、前半がブロントとブルース、後半が私とジルバさんでした。私を呼ぶ声に夢から引き戻されれば、既にジルバさんが見張りについた後で。中々起きないから苦労した、と笑うブロントに頭を下げて、慌ててテントから出ました。

「あ、ハンカチとかいる?」

 何故ですかと問えば、彼は自身の目尻のあたりを指してみせました。

「怖い夢でも見たのかなって」

 自分の目元に触れれば確かに濡れていて。ジルバさんにはバレないように目を必死に擦りながら焚き火の側に腰掛けて、護身具代わりの回復の杖を抱えます。

「……そんなに小さくならなくても、何も取って食ったりしないが」

 低い声が響きました。ジルバさんの声は小さくてもよく通って、経験の重さを感じさせる、そんな声です。戦闘中は非常に頼もしいのですが、碌な実戦経験の無い私の薄っぺらさを暗に責められているような気分になって、ほんの少しだけ苦手でした。

「す、すみませんっ」

 頭が取れそうな勢いで謝ると、ジルバさんは少し困ったような顔をしてしまいます。

「叱ったわけでは……いや、俺のせいか……?」

 どうしてそんな事言うのですか、と尋ねると、今度は申し訳無さそうな顔になりました。

「知っていると思うが、俺はずっと軍にいてな。どうしても、その……威圧的だと言われるんだ。態度や口調なんかがな」
「そんなことは、ない……と思いますが……」
「気を遣ってくれなくていい。怖がらせて悪かったな」
「えっ、あ、違っ」
「泣きながら出てくるほど嫌だったんだろう」
「違いますっ!」

 立ち上がって叫んでしまって、周りに響いていないかと血の気があっという間に引きました。私が大きな声を出したのが余程意外だったのでしょう。ジルバさんが目をぱちくりさせています。そういえば、旅の間ずっと縮こまっていたせいで、はっきりした声を出すのも久々でした。

「あっ、えっと、ちょっと怖いのは本当ですけど、泣いてたのはそのせいではなくって」

 息も吸えずに慌ててまくしたてると、ジルバさんは口を挟むこともなく、続きを促すように頷いてくれました。急がなくても大丈夫そうな気がして、ようやく呼吸ができました。

「夢見が悪くて、それで、少しだけ、ほんの少しだけ泣いてただけなんです」

 少しだけ、のところをついつい強調しながらも言い終えた数秒後、今度はジルバさんが深い息を吐く番で。

「……そうか」

 よかった、そうぽろりと零した後。

「いや、よくないな。寝た感覚、もしくは体力が回復した感覚はあるか? 長旅で眠れないというのは後々……」

 そこからは、行軍に関する立て板に水のような談義でした。体感で五分くらいは話し続けたのではないでしょうか。先程までとは違う意味で気圧されていると、ようやく私の様子に気付いたのか。彼は申し訳無さそうな顔をして口を閉じました。

「……すまない、一方的に」

 威圧的になるのはこれのせいか、と自嘲するように言うので、首を振って否定します。勢い余って首が外れそうでした。

「今は全然怖くなかったです! お話も、神官さん達のお説教より長くなかったですし」
「あれを引き合いに出される長さではあったんだな」

 過去に覚えがあったのでしょうか。深刻そうな顔のままやたらと遠い目をしているせいで、面白い表情が完成してしまいました。

「……本当にすまない……」
「だから大丈夫ですよ。ジルバさん、意外とおしゃべりさんなんですね」
「いつもこんなものだと思うが」
「そうですか?」

 記憶を辿っても、ジルバさんが話す場面は会議の時くらいしか思い出せず。頭を捻っていると、彼は突然、あ、という声と共にバツの悪そうな顔をしました。

「ブルースやマゼンダとはよく話すんだが、確かにテミには碌に話しかけたことも無かった」
「あぁ、それでおしゃべりさんな印象が無いんですね!」

 寡黙な方なんだと勘違いしていました、もっと早く話しかけてみればよかったです。少しはしゃぎながらそう伝えると、彼は相変わらずの暗い顔で。

「いや、俺が避けていたんだ」

 ふぇ、と気の抜けた音が喉から漏れました。

「あまりにも住んでいた世界が違うから、接し方が分からなくてな……子供に怖がられることも多くなっていたから、つい」
「……え、あの」
「怯えられるだろうと勝手に思い込んでいた」
「ジルバさん」
「……すまな」

 本日何度目かの謝罪をしようとした彼の腕を掴んで、できる限り小さな声で叫びました。

「私、もう成人してます! 子供じゃないです!」
「……ん?」
「成人って言っても教会で正式に働ける年齢ってことですけど、子供扱いされる年じゃないです!」
「テミ? 一番気に障ったのはそこなのか?」
「大人です! 私!」

 必死に訴える私と、虚を突かれた表情の彼の間に沈黙が流れて。

「……ふはっ」
「なっ、笑わないでください! 大人なんです! 私は!」
「はは、そうだな。こんな旅に付いて来る気になれるんだ、立派な子だ」
「まだ子供扱いしてるじゃないですかぁ!」

 ジルバさんはその後もひとしきり笑った後、何でそんなに大人に拘るんだ、と尋ねました。

「兄が、今は怖がりでも大人になったら平気になるって……」
「なら、俺が怖いうちはまだまだだな」
「もう怖くないです! 成長しました!」
「そうかそうか」

 いい子だ、とジルバさんが私の頭をわしゃわしゃと撫でました。お兄様を思い出して懐かしいのですが、この撫で方は、妹にするやり方というよりは。

「……ジルバさん、もしかして私のこと、小動物扱いしてます?」
「あぁ……故郷で飼っていた犬を思い出すな。妹が特に可愛がっててな、小さくて愛らしい奴だった」
「思い出すならせめて妹さんの方にしてくれませんか!?」

 この日以降、ジルバさんと話すことが増えました。一人だけ呼び捨てではないのが距離を感じる、と言われたため、今は他の皆さんと同じように呼ぶ練習中です。
 それと、一度ブロントがふざけて「お兄ちゃん」と呼んだときの何とも言えない顔が面白かったので、今度私もしてみようと思います。皆さんと仲良くなるためです。他意はありません。

追記:その日一日、物凄く甘やかされました。

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