SSまとめ・1

 雨は嫌いだ。雨が好きなほのおタイプなんているはずもないが、今日の雨は最悪だった。子供のミルタンクが一体、まだ晴天だった空に降った雷に怯えて逃げ出していたのだ。当然カキを含めた自分達は彼女を探すために駆り出され、ガラガラが彼女を発見したのだ。牧場のはずれ、もうぽつりぽつりと雨が降り出した頃だった。

『あー、マジで最悪……』
『ご、ごめんなさい……』
『仕方ねーよ。俺の火が水で消えなくて良かったな』

 愛用の骨に灯った呪いの火は、青緑の色に反してしっかりと温かい。水でも雪でも消えないこの火は、生き物に触れれば死ぬまでその身を焼き尽くすらしい。ガラガラは『おにび』を覚えていないので、実際のところは分からない。

『……その、寒くない? あなた、水は苦手だよね……』
『へっ、そんな軟弱モンじゃねえよ』

 嘘だった。冷え切った身体は灯火一つでは誤魔化せず、かたかたと震えている。ほのおタイプは寒い気候と水に弱い。晴天のプールならガラガラでも平気だが、あれはアローラの日差しと浮き輪があってこそだ。決して雨でずぶ濡れになっても平気という訳ではない。 それでも、ガラガラは強がりだ。見栄っ張りとも言う。自分の仲間にして一方的にライバル視している存在ーーバクガメスは、水が苦手ではない。本人の気質として、湿気だのプールだの海だのは苦手なようだが。彼の体重では沈んでしまうだろうから無理もない。
 ともかく、水そのものが苦手と認めるのは、バクガメスに負けていると認めるに等しいと、ガラガラは勝手に考えていた。ドラゴンタイプも持っているバクガメスと水耐性を比べても仕方ないということは、一応知りつつ。

『…………お前こそ、寒くねーの』
『えっ!? う、うん! その、脂肪があるから……』

 アローラのガラガラは、他の地域のガラガラに比べて脂肪が少ない。当然自分も例外ではなく、殊更寒さに弱くなっていた。舌打ちを我慢しながら歩いていくが、歩く速度は段々と遅くなっていく。これはまずいと脳が警鐘を鳴らした。

『お前、ここから道分かる?』
『あ、えと、多分……』
『じゃあ、俺雨宿りしてから行くわ。先帰っとけ』

 手頃な物陰に潜り込む。慌てて帰路を走り出すミルタンクを見送っていると、視界が黒ずみだした。このまま寝たら死ぬのかな、ゴーストタイプなのに? そんな事を考えても落ちる瞼には抗えず。せめてもの熱源にと地面に突き刺した骨の松明の、ゆらゆらした青緑の光がゆっくりと暗闇に消えていった。

『…………』

 温かい。 身体が規則正しく揺れている。誰かの腕の中のような……いや、実際に腕の中のようだ。自分を抱える太い褐色の腕が見えた。

『……カキ?』
「ガラガラ、もう少しで家に着くからな!」

 傘を差しながら、片腕で自分を抱えて走っているらしい。人間の子どもくらいには重い自分を。よほど必死で探し回っていたのか、傘を持っているにもかかわらず、その身体はびしょ濡れだった。 家に駆け込むやいなや、タオルで巻かれてピザ窯の前に置かれる。いくら暖房なんてものがアローラ地方に無いとはいえ、もう少しマシなものは無かったのか。煌々と燃えるピザ窯を眺めていると、カキが湯気の立つマグカップを手に隣に座った。

「ミルタンクを見つけてくれてありがとうな」

マグカップを差し出される。中身はモーモーミルクだ。一気に飲み干せば、身体の芯がじんわりと温まった。

「ミルタンクが一人で戻って来て、お前がいた方を必死で指すから……寒い中頑張って歩いてきたんだな」

 回収したマグカップをテーブルに置いて、ガラガラを包んでいたタオルを毛布に換える。

「もう一杯飲むか?」

 返事の代わりに、膝の上によじ登る。なんだか、仲間の体温が欲しい気分だった。

『ガラガラ、無事……あ』

 身体が冷えているだろうと、お粥状にしたポケモンフーズの椀を抱えたバクガメスが見たのは、少し驚いた顔でソファに座るカキと、その腕の中ですやすやと眠るガラガラだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

カントー地方には、「餓鬼」とかいう、空腹にまつわる化け物の謂れがあるらしい。空腹の恐ろしさを知っている身からすれば、さもありなん、という心持ちだった。 ガラガラがそんなことを思い出したのは、カキの妹であるホシが自分の腹を撫でてきたからだ。

「ぷにぷにしてきたね〜」
「ガラァ……」

 ふざけんなよと思いつつ、何だか肉がついたのは事実なので黙っておく。贅肉ではないと思いたいが、ポケモンフーズはやたらと高カロリーらしいので少々怖さが残る。腹に力を入れると、途端に硬くなった。腹筋だ。よし。ホシの手を振り払って、夕食を食べに行く。
 野生の頃は火山暮らしをしていたため、お世辞にも栄養満点の食生活とは呼べなかった。それがカキの家に来てからは、三食しっかり栄養もばっちり。肉もつくというものだ。ガラガラは早い段階で危機感を持ったため、この栄養を脂肪ではなく筋肉にするべく身を粉にして特訓するようになった。その甲斐あってか、動きは格段に良くなった気がする。しかし、少々過激な運動をしても一向に減らない体重を見て、「もし動くのを止めたら?」と想像して怖くなったのも事実だ。食い意地は張っている方だが、さすがにバクガメス達の大型ポケモン用フーズに手を出さない理由もそれだった。あれは罪の味がする。

「お、来たか。今日はシチュー風だぞ」

 自家製モーモーミルクをふんだんに使ったのだろう、良い匂いがするシチューがことりと置かれる。具は野菜風味のポケモンフーズだ。ソーセージも入っている。カキは最近マオに影響を受けたのか、ポケモンフーズを家庭料理にアレンジすることが増えた。先に席についていたバクガメスが、嬉しそうにシチューの形をしたカロリーの塊を食べている。バクガメスは元々硫黄だのを含んだ石を食べていたらしい。それと比べればそりゃあ美味しいだろう。カキの方も、いろいろ調べて火薬成分入りのフーズをおいしく食べられるようにと試行錯誤したらしい。バクガメスのシチューだけ、ほんのり匂いが違った。

『お前、愛されてんなあ』
『?』

 バクガメスが細長い首をかしげる。周りを大切にする奴のくせに、周りからの愛情には鈍いのだ、こいつは。肩を竦めて、シチューを一気に飲み干す。

『俺が先』
『もう、そんなとこで張り合わないでよ……ぼくはゆっくり食べるから、君もよく噛みな?』

 どうせバクガメスが洗い場まで持っていくからと、食器を彼の側に寄せる。しょうがないなあとバクガメスが呆れた声を出し、リザードンの爺さんが愉快そうに体を揺らした。
 少し重い身体を動かし、リビングのソファに飛び乗る。カキ達はまだ夕食の最中で、穏やかな談笑が聞こえてきた。テレビの反射でそれを眺めていると、やがて睡魔が襲ってくる。今寝たらミルタンクになるな、と迷信が頭を過ぎった。本当にミルタンクになったらどうしようか、「ころがる」でも覚えるか。満腹でうっすら幸せな頭は、そんな取り留めのないことを考える。うとうとしていると、不意に身体に毛布がかけられた。

「風呂までには起きるんだぞ」

 小声でそう言って去ったのはカキだ。いなくなってしまった母親を思い出して、毛布を握りしめた。こてんとクッションに身体を預ければ、すっかり慣れた柔軟剤の匂いがする。ヒトの家の匂い。皆がいる場所の匂い。 四人家族とポケモン二体の喧騒が遠くなっていく。落ちていく意識に身を任せながら、腹の肉くらい別にいいか、と考えた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『ぼく、一度空を飛んでみるのが夢だったんですよ。ほら、飛行機とかでもぼくをボールから出したら大変ですし』
『はは、漸く夢が叶ったか』

 ぼくを乗せたお爺さんのリザードンが、悠々と笑う。ぼくもつられて、ぽやぽやとした頭で笑った。

『一応、ロケット団にさらわれたかけた時とか、サトシを見送る時とか。短い間空にいたことはあったんですけどね。こんなに長い間いるのは初めてです』
『そうか。なら、楽しんで行きなさい』
『はぁい』

 それにしても変な言い方をする。まるで別々の所に帰るみたいだ。ぼくら、皆カキの家で暮らしているのに。

『ガラガラの奴はどうだ?』
『最近は大分柔らかくなりましたよ。態度も……あと、いっぱい食べてるから、お腹も少し』
『ふはは、若者はたくさん食べるのが良い』
『出会ったばっかりの頃、痩せてたからなあ。野生だから仕方ないですけど』

 やっぱり変だ。だって、わざわざガラガラの様子なんて聞く必要無いのに。
『……カキは、元気そうか』
『…………ちょっと、落ち込んでます。たまにガラガラに慰められてたり』
『そうか、あのガラガラが』

 お爺さんは嬉しそうに笑った。ぼくも笑った。あのガラガラが心を許してくれたのは、誰だって嬉しい。

『……そろそろ、お前さんを降ろさねばな』
『楽しかったです! また乗りたい!』

 そう言うと、お爺さんは悲しそうな顔をした。

『……当分は先だな。先であってほしいものよ』

 首をかしげるぼくをよそに、お爺さんはぐんぐん高度を下ろしていく。力を増す風圧に思わず目を閉じて。

『バクガメスよ。奴らを頼んだぞ』

「……バクガメス! 目を覚ませ!」
「…………ガメェス?」

 気の抜けた声を出す。

『……あれ、お爺さんは……』
『ばっ……お前、ゴーストタイプでも無いのに向こう行きかけてんじゃねえよ!』

 ガラガラがぼくの体を揺さぶる。ぼくが重いから、ゆらゆらしただけだけど。 だんだん思い出してきた。突然の豪雨で川が増水して、近くを通ってた人が行方不明になって。その捜索に駆り出されたぼくは被災者を見つけたけど、助けた代わりに溺れてしまったんだ。

「……お前までいなくなったら、俺は……」

 弱りきったカキの声。そうだね。ぼくまでいなくなったら大変だ。誰が君達のブレーキをするんだろう。 一ヶ月前、リザードンのお爺さんはいなくなった。寿命だった。保護していた新米のリザードンに飛び方を教えて、ご飯を食べて、眠るようにいなくなった。カキの落ち込みようはすごくって……なんせ、生まれた時からお爺さんはいたから。夜にこっそり泣いているのをガラガラが目ざとく見つけていた。ぼくもこっそり泣いていた。ぼくの師匠。憧れた存在。向こうに行きかけたから、送り返してくれたんですね。ありがとう。でも、もうちょっと話したかったなあ。 泣きじゃくるカキの頭を撫でる。こういう時、カキは顔に見合わずよく泣く。泣けないよりずっといい。思い出して、泣いて、慰めあって、たまに夢枕に呼んじゃったりして。そうやって、歩いていくんだ。